Thursday, June 29, 2017
 

自由という名の不便

b02「なんかしたい」けど「なにしていいかわからない」という感覚にたまに苛まれる時がある。

そういう時は、なんとなく家でボーっとしてたりするんだけど、「したい」という気持ちに応えられてないので、だんだん焦ってくる。で、とりあえずMac立ち上げたりするんだけど、そもそもで「なにをするか」が決まって無いから道具触ってても悶々とするだけになる事がある。
特に値段高めとか高性能な道具を手に入れると、目的達成のための道具というより「道具を使う事が目的」になりがちなので、堂々巡りになりやすい。MacのCMで「自由に好きな事、楽しめばいいじゃない」という台詞があったけど、その通りでMacは、こちらが何をすればいいのかは教えてはくれない。したい事を楽しむための道具にすぎない。そこんとこを当たり前の事なのに勘違いしがちだなと。

ちょっと俯瞰で考えてみたら、「なんかしたい」けど「なにしていいかわからない」という感覚って「指示を待っている」時の感覚に似ているなーと思った。まぁ、この場合、面倒なのが指示するのは、自分というところ。じゃ、その「指示」ってどっからくるのかと。天の声みたいに降ってくるもんでもなさそう。一生待機もご免だし。

で、現実的に考えて、自分の中のアウトプット欲求に応えるには逆説的に、インプットをあげるというのがある。本でも映画でも漫画でもなんでもいいのでインプットをあげる事で漠然としてる「したい」が具体化し「これがしたい」に変わる。あとはそれに向かって行動(アウトプット)すればいいというもの。何をインプットするかも、自分だけで選ばないで友人からのレコメンドも積極的に触るというのが大事かも。喰わず嫌いはもったいない。ただ、インプットの方法の中にネットサーフィンを入れてよいかは迷いどころかなとは思ってる。「経験」で見た時に得られる刺激が、五感のそれと比べて足りない様な気がする。知識の枠を出ないというか、した気になって終わってしまうというか。その辺は今度考える。

憧れとか嫉妬とか相対的な衝動ではなく、具体的な何かはなくても主体的に「したい」という気持ちがあるなら、純粋にその行動の過程を楽しめばいいと思う。「できる」じゃなく「したい」という点も重要かも。結果は後から付いてくるし。そういう「指示」を自分に出せるかどうかが、自由の奴隷になるか、自由を支配できるかの分かれ目なのかも。

自由が苦手な切なーい人間。

 
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