Friday, December 15, 2017
 

老婆心という便利な言葉

自分はTwitterをやっています。

最初に始めたのは3年前くらい。Twitterドラマが始まるくらい認知度が上がってきた昨今、その使い方について、自分なりに考えた部分があるので書いてみる。

自分が考えた限りTwitterの使い方は大きく3つ。

    1,気に入った人をfollowingして自分も雑談的なPostをする
    2,自分から告知したい事柄をPostするのみ。限られた人以外、followingしない
    3,botなどNews系のみをfollowingする。自分はPostしない

1は、いわゆるネットコミュニケーションツールとしての使い方。
誰かや自分のPost内容にRTするなりレスを返したりして半チャット的に情報共有するための方法。

2は、メディア型の使い方。
本来は誰もfollowingしないのがベストだがTwitterの仕様上、誰かをfollow or 誰かにfollowされてないと検索に出ないので、情報配信する=事柄を世に出したいという部分に繋がらないため特定の人最低1人はfollowする必要がある。情報配信のみを目的とし、一方通行的にPostする方法。

3は、RSS的な使い方。
News系botや自分が興味のある有名人のみをfollowし、TLを流す。完全に受け身として情報収集に徹し、自分だけのニュースサイトの様にする方法。

自分は、主に2と3の複合タイプ
多くの人は1の使い方が多いと思う。自分も3年前に始めた時の使い方はこれだった。いわゆるチャット的な使い方。ただ正直、この使い方はおすすめしない。
理由としては、「時間の浪費が大きい」「レスが無いと不安になる」「コミュニケーションがネットに偏りがちになる」など経験則から。逆に言えば「ネットを使って不特定多数と相互にコミュニケートしたい!」という人には良いだろうが。その点、2と3のタイプは相互のコミュニケートを目的としていないので、1の様なデメリットは少ない。

そもそもで考えたいのが、「なにを目的として自分がTwitterをやりたいのか」という事。
多くの人がTwitterを始めた時に言う「followしてください」というセリフにそれらがこめられてる様な気がする。実際、「私はあなたをfollowします。でも私の事はfollowはしなくていいです」という人は見たことがない。

ログインしていない状態でTwitterのアカウントを見ると以下の文書がでる。

「Twitter は、情報をいとも簡単に提供できる、操作性の豊かなオンライン・ソフトウェアです。」

つまり本来、TwitterでPostされる情報は一方通行であり、followというシステムによって、コミュニケーション化されているといえる。リアルな場にある「その事柄に対する共有感」をシステムで作り上げてるという部分にSNS全般でコミュニケーションする時に感じる「違和感」があるような気がする。それが「Twitterの何が面白いのかわからない」という人たちの感じてる事なのかも。なので、人と人との根幹にある共有感がない状態で「Twitterビジネスだ」とかいうマーケティング屋さんは、やっぱり数字でしか人を見てないのかなと思ったり思わなかったり。

結局、適材適所だし、使いたいように使うのがよいとは思うのだけど、つぶやき≒独り言。
独り言は

会話の対象とするものが存在しないにもかかわらず、発声を伴う言語を口にすることである。-Wikipedia-

という前提で、のべつまくなしに誰かをfollowする前に「〜なう。」とかいう、いかんともしがたい情報が、あなたにとって本当に必要なのか、相手にとって必要なのかを考えてからが良いですよ。という割とお節介な話。

 
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