Thursday, April 15, 2021
 

能動的受動

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最近のネットサービスの主流は、もっぱらSNSサイトでFacebook、twitter、tumblr、mixi、ケイレキ.jpなどなど。さらに情報発信系ならUstream、Flickr、Myspaceなどなど数多ある。

自分の中の思考なり行動報告をWebに載せるという意味では、blogも同じなのだけどSNSという枠内に入ると毛色が違ってみえる感覚がある。そもそもで「情報を発信する」という行動が、まるで絶対的に正しい事、素晴らしい事と扱われてるのが、なんだかなーという気がしてる。それにきっとそういう風に活性化した方が一部のマーケティング屋とかITジャーナリストさんとか某FMラジオ局とかが群がって、個人での利用を啓蒙してるのがニンともカンともな今、色々と都合が良い大人が多いのだろうけど。

ただパッと見、「情報を発信する」って行動としては、能動的なんだけど、メディアとして商業が成り立ってる場合は別にして、個人でそれをやる動機って「みんなに自分を知って欲しい、分かってほしい」という受動的な感情からなのが大きいと思う。

経験上、その辺のズレって危険で、だんだん「twitterにpostしなきゃ」とか「mixiに日記書かなきゃ」と、強迫観念が生まれてくる。それは情報発信(自己アピール)をし続け、反応がもらえないと途端に孤独感に苛まれるから。それゆえの能動的な行動という事。しかもややこしいのが、知って欲しいという願望こそあれ、興味を持ってもらえるかどうかのコントロールは自分の範疇を超えている上、情報の価値どうこうを決めるのも受け手次第という事。

そうなるとコントロールできないからこそ、しようとしてよりアピールしてしまい、相手に反応を求めてしまう負のスパイラルに陥りやすい。相手の事を考えてるフリして自分の事しか考えてないというか。ましてSNSの場合、blogと比べて繋がる事が目的になってる事が多く、中途半端に相手が「見えて」しまっているので、余計にそうなる傾向が強い気がする。逆に反応を返す側にも相手に切られない様に「返事しなきゃ」という妙な使命感があったり。その辺は広告論とか仕事論にも繋がって言えるところなのかも。

じゃぁ、なんでblog書いてるんだと言われたら下を俯くところもあるのだが、ともかく「他人に自分を愛させたい」という願望と、不特定多数に情報を発信しやすいWebは皮肉ながら相性が良い。でも、人は一人では生きていけないし、一人で生きていっても、誰かと喜びを共感できないと楽しくないというのも分かる。そのジレンマは、そもそもで「情報共有」という名のもとに産まれたWebにとって、灰汁の様なものなのかもしれない。

 
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