Friday, March 29, 2024
 

自己のマネタイズを生む2,3のコツ

食べて行くためにはお金が必要です。

でも、お金は降ってくるものでもなく、自己の持ってるリソースを運用する事で生まれるものだと思う。よって、自分が、今どういうリソースを持っているのかを考える必要があると思う上で、そのリソースもそれぞれの立場や環境によって当然変わってくる。例えば勤め人とフリーランス。その、金銭を「生む」、というより「呼ぶ」ためのスタートのフック(=マネタイズ)の置き場がそもそもで微妙に違う印象がある。具体的に、会社勤めの人は、自分が身を置いている会社の看板や、古参の営業が持つ人脈、今までの取引先との関係性などが、スタートになる。一方、フリーランスは、個人の持っている人脈、技術、他媒体での露出などがマネタイズのスタートになりそう。
もちろん会社勤めの人の中にも個が前に出て活躍されてる人もいるし、フリーランスの人も昔在籍した会社からの発注を受けて仕事している人もいる訳で、あくまでマネタイズ創造の一般論としての前提で。

錬金術は「気のせい」から

Web制作におけるリソースで人員的なものはさておき、個々が持っているリソース(スキル)は技術や経験、知識に知恵などが挙げられる。「情報感度が高い」という人は、日々、新しい情報を仕入れて引き出しを増やしているし、1つの技術に特化した人はそれを磨き上げる事に注力している。それぞれに努力し切磋琢磨しているのだが、そのリソースの上下を、あえて極論づけるなら、その事柄に対して「知ってるか、知らないか」でしかない。
例えば、クローズドの情報に対して「知りたい!」と思える様な事柄または演出から価値が生まれ、それが金銭という形で返ってくる。つまり価値創造の根源は、顧客ニーズがあるかないか。「金出してでも欲しい」(=マネタイズ)と思わせる情報を持ってるもしくは作れるかが、分かれ目だと思う。
会社勤めだと上記の条件から、その辺のプロセスを端折って、スタートする事ができる。まさに「餅は餅屋」とはよく言ったもので、餅屋という看板や認識が広く顧客に知れ渡っていれば、それらを武器に価値を持たせ見積もる事ができる(=マネタイズ)。一方、フリーランスだと、自分が何を知ってる、出来るのかを周知する必要があるし、かと言って、知ってる事柄=商材なので、なかなか表に出しにく。デザイナーなら成果物なので問題ないと思うけど、企画力や計算力などなかなか説明しずらいものが売りだと周知に至るまでは難しい印象がある。

方法論の暴走

じゃ、売り込みに行きましょうとなった時に気をつけたいのは「自分ができる事だけを売ろうとしない」事。いや、もちろん売るのは自分ができる事だし、できない事を「できます!」というのは詐欺なのだけど。言いたいのは「お客は、本当にそれを望んでいるのか」を常に考えるという事。自分のリソースは、商材であると同時に、顧客にとっては、問題解決の方法論にあたる。数多ある方法論の中から、それを勧める根拠は何なのか?「今が旬だから」とか「客受けが良さそうだから」は、わからんでもないけど、自身の知ってる最新情報を商材に相手先に売り込む事にやっきになって、本当に望まれているソリューションから逸脱してしまってる場面にたまに出くわす。「それは顧客が求める事じゃなくて、あんたがやりたい事でしょ?」と。
それがバレてしまうと周りの目たるや冷ややかなものだし、正当な評価を得るのは難しくなりがち。どんな手を使うかは自由だし、売上があがれば良いのだろうけど、大事な何かを置き去りにしている印象があるので気をつけたい。自戒をこめて。

個人的な一般論を基にしているので、全ての企業の勤め人、フリーランスに当てはまるとは思わないし、何をキッカケに自分のリソースがマネタイズするのかは、状況にもよるので画一的な答えは正直わからない。でも自分のリソースを棚卸し1つの商材として扱う事で、どこまでをフリーとし、どこからは有料でとか、顧客や世の中のニーズを汲み取り必要な情報を正確に(速くではない)かつ適したソリューションを上手く演出する事で自己のマネタイズへの道が開けそう。

業態の違いこそあれ、ニーズ/リソースという環境が必要なのは共通なのだから、そこにいかに自分なりの価値をプラスできるか、そのための行動全てがマネタイズになるのだし、続ける事が大事なのだろうなーと思った。どういう評価になるのかは、相手ありきで相対的だしね。

 

Webディレクターの職業病

何かしらの物事に向き合った時、頭の中で過程をシミュレーションする癖がある。

そしてその次に、その過程をいかに効率よくこなすかのフェーズになる。そのためのツールの選択、作業する時間、そこから得られるであろう結果の予測などが、バーっと脳内をよぎる。結果が予測できているので、もはや過程は問題ではなく、いかに効率の良い方法論に乗せてタスクをこなすかが目的になりがちという事がよくある。もしかするとこれは、Webディレクター、プロジェクトマネージャーを生業にしてる人間にとって、ある種の職業病なのかもしれないと思う様になった。もちろん個々で違いはあるのだろうけど、Webディレクターという仕事でならまだしも、プライベートでもそういう思考になるきらいがあるのでちと厄介。

完璧主義という金看板

個人的感覚としては、過程への関心の比重が軽いと完璧主義に陥りやすい危険がある気がする。見えない何かの評価を目途に、「いかに上手くこなすか」が一番大事であり、Webで拾ったLifeHackを駆使する。それってある種、虚栄心の表れだと思える。「他人によく思われたい」「弱みを見せてはいけない」「上に立ちたい」という概念から、目的を超えた大きな目標を立ててしまいがち。得てして大きい目標にばかり目がいき、プロセスが見えていなから、道具や方法の話に終始し、そこに行き着くまでに息切れして投げ出してしまう。それを繰り返してしまうマインドはWebディレクターである自分もそうだったので、痛いほどよくわかる。

見栄をはってしまう人の多くは、他人の評価が気になるあまり、自分がおいてけぼりになってる人が多いと思う。確かに何かを達成したり評価を得た時「凄いね」とか「偉いね」という賞賛は気持ちがよい。自分の自信にもなるとは思うのだが、なんとなくそれは「薄い」というか「浅い」自信という印象がある。おそらく、そもそもで「他人の評価ありき」という部分がそういう印象を与えていると思う。もちろん、給与査定だったり学生時代は先生の評価、それらの考えの中で育ってきたのだし、それが大事というのもわかる。ただそれらが「自信」となると「また良い評価を受けたい」という気持ちから他人の顔色ばかりを見るようになってしまいそうで、極端だが一種の麻薬の様な印象すら受ける。良い評価を得るためだけに行動する。自分がどうとかは二の次。もちろん自尊心という名のプライドはあるけれど、それ以上に自信という名のプライドが先に来て、逆説的に自分で自分の自尊心を傷つけてる。そんな現象も起きている。

エレベーターより階段で

じゃ、どこから手をつければという話になるのだが、自分の中の結論としては「自分で立てた小さい目標を達成する」しかないかと。それは自分にとって当たり前の事でよいと思う。例えば、毎日遅刻せず出勤したとか。寝る前は洗い物は必ず片付ける、とか。そもそもで「当たり前」という感覚自体が相対的だし、その基準は個々で異なる。ならば、自分の中のハードルを下げ、それを一つずつクリアする事で小さな自信を積み重ねていくしかないかなと。また、小さな目標達成=プロセスを大事にするということにも繋がり、やがて本来自分が理想とする大きな目標の達成にも繋がっている事が実感できると思う。

大事なのは、周りにとってどうでも良い事は、あくまで周りにとってであり、自分にとってどうなのかを忘れないこと。あと、それを続ける事。小さい事でもやり遂げたという感覚を大事に前に進み、ブラッシュアップしながら試行錯誤するしか、大きい事は達成できない。
サイトのアクセスだって同じ事でしょ。いきなり爆発的なPVなんて、稼げる訳ないんだから。

 

情報の価値を決める、確かにある不確かなもの

例の尖閣ビデオの件を発端にWikiLeaksから公電文書が流出など、情報管理についての話題が最近続いてる。

どれも外交問題に関わる重要な機密という事で、情報をひた隠しにする政府と「知る権利」を行使し嬉々として報じるマスメディアなど、色々あるわけで。でも「重要な情報だ!機密文書だ!」と、ジャーナリストの方はメディアで盛んに叫んでいるが、正直、自分にはピンと来ない。会社で上司の陰口をメッセンジャーでやりとりしてたら、誤送信で本人のところにFwで飛んでしまったとかの方が、よっぽど「えらいこっちゃ」という気が。なんでそう思うのかなと考えてみれば、外交上の重要文書など「自分には直接関係ないから」というのが結論。

ここ試験に出ます。

別にニヒリスティックな事を言いたいという訳でなく、どれだけ国家的に重要な情報だと言われても、ほとんどの人からすれば「明日、デートで何を着てくか」の方がよっぽど、直近での最大の関心事だと思う。つまり、「重要な情報」というには、個々の人のその時の気分、感情、立場、時間、環境によってどうにでもなるという事。けれど、どうも報道を見ていると「一大事感」の演出にやっきになっている様な印象を受ける。実際に流出した情報の内容の検証もそこそこに、国家に対しての影響とかを評論家やコメンテーターがネガティブ啓蒙の個人的意見を述べてるシーンをよく見る。

マジでヤバいですよ。

ただ、本来、その情報が「どれだけ重要なのか」を決めるのは、やはり個々の判断であり、受け手は閲覧の上に情報を精査し、自分の裁量で最も重要な(今一番欲しい)情報を手に入れる。そこに新しいや古い、派手や地味という概念は本来、存在しえない気がする。もちろん外交上の機密文書が漏れて、テロや戦争が起きたら大変でしょというのは分かるのだけど、それは流出をした事実を受け入れる事が大事であり、情報から推測される派生的危機感は別の話だと個人的には思ってる。危機感を煽る事で、情報の大事さを演出し注目を得ようというのは、親の前で嘘泣きする子供とあまり大差がない様な。まだ子供の方が「おもちゃを買ってほしい」とか目的があってしてる分、意味のある行動だと思えてならない。

要するに、受け手が事実という情報をどう捉え、それを個人の生活にどう反映するのかをもっと考えても良いのかなーと。そのために集団的一派論でなく、個々人が「知る権利」を行使するのが筋であり、発信側と対等の立場であるのが理想かなと思う。
ただ機密文書流出より市川海老蔵がbuzzってたり、Webに流出した情報を恥も外聞もなく報道するメディアジャーナリズムを見る限り、日本はまだまだ平和だなと思う2010の師走。

 

環境と働き方の選択肢 @CSS Nite in Ginza, Vol.54

11/18にApple Store Ginzaで行われた「CSS Nite in Ginza, Vol.54 これがフリーの生きる道」に参加してきました。

linkerの黒野明子氏、秋野琢氏あと秋葉 秀樹氏によるトークセッションが今回のCSS NiteメインでSkypeでの中継も挟んでの今までに無い形式が面白く、なかなか興味深く聴講する事ができた。
そーいえば、黒野さんとは、一度、hidekさんの鍋パーティーでお会いしたなーなどと、ウツラウツラしていたらセッションスタート。今回のCSS Niteは、事前のアンケートをメインにしての流れだったので、参加者もフリーの方が多く、それぞれの認識を客観的に知る良い機会だったかと。現状、会社員として水面下でゴニョゴニョしてる身としては、フリーランスの実情も知れ、大いに刺激を受けた。

フリーランスならではフットワークの良さ

印象に残ったのは、やはり時間と場所を選ばないフリーランスのスタイルで、複数人が作業に絡む時の共有の方法。SkypeをメインにサイボウズLiveや、バックログを使ってのクラウドでの環境構築は、フリーランスならではだなと思った。会社単位だとリスクを気にするあまり、効率より仕来りやルールを重んじて、フットワーク軽くその手のツールを導入する事に二の足を踏む事が多い。もちろんPマークからのセキリュティ重視は大事なのだけど、官僚的な事務手続きとそれに怯える社員とで、機会損失している例はきっと山ほどあるんだろうなと思った。

業態の選択肢

平成17年度以降、おそらく小泉内閣時の政策により会社設立についての規制が緩和され、既存の会社の枠組みの中に「持分会社」が加わった。それらから秋葉氏らが設立された合同会社かぷっとの話。株式会社には無いメリットも多く、フリーランスの人が複数集まって、会社化する上で都合が良さそう。会社対会社での取引の場合、まだ日本においては株式会社が他の業態を差別視する風潮がある気もするけど、それぞれがフラットな位置で携わり決定事項は多数決という民主主義な所も好印象だったので、もう少し自分でも詳しく調べてみたいと思った。

結局は人と人

今回のCSS Niteで、フリーランスでの営業の話があったが、内容的には営業ツールの紹介と他の人のアンケート紹介という割と軽い話で終わったかと。ただ、営業手法については、Twitterの活用、ビジネスマッチングの活用など、既存の営業方法+Web利用というのが主だったもので、やっぱりベーシックな方法になるんだなというのが、地味にショックだった。会社内の役割分担的に営業と切り離された位置にいる人間としては、「どうやって仕事を得てるの?」というのはベールに隠されていて情報が降りてこない事が多い。まして特定の代理店の下請けに慣れしまっていると、その辺の「開拓魂」を養える機会も少ない。また「Webを使っての効率的な営業方法」等をうたう情報ビジネス家さんが最近多いので、漠然と革新的な営業法でもあるのかしらと思っていただけ「営業=自己の露出を上げる」のが基本という事を再確認できたのは個人的に良かった。

立場と、その先を見る視野

最後にお金と契約関係について。自分も外注デザイナーさんに依頼する事はあるのだけど、やはりフリーランスのデザイナーさんは良い意味で契約にシビアだと感じている。それは会社内で仕事をしている人間との仕事に対する熱意の温度差に近い印象がある。「お金にうるさい」というのは、あまり印象が良い事はないのだけど、言うべき主張と権利は行使すべきだと個人的には思ってる。会社の営業だって取引先の支払いが確認できなかったら焦るはず。なので、発注する側として、単純に作業を依頼するだけでなく、その辺もある程度ケアできる様に気を配っていきたいなと思った。

その他、コミニュケーションについてや、フリーランスについて気をつけるべき事などが話し合われたが、ちょっと気になったのがアンケートの中で「組織に属さない事への不安感がある」という意見があったこと。やはり将来についての安定志向はフリーランスの人の中にもあるのだなと思ったのと、組織にいるからこその働きやすさみたいなもの(リソースや達成感的に)もあるだろうし、一長一短な部分はありそう。初めて入った会社が倒産した経験を持つ自分としては、なんか考えさせられるものがあった。

余談だけど、秋葉氏の合同会社がある大阪のSkype中継に、以前いた会社で一緒に仕事した方に似た方が出られてて「まさか?」と思ってTwitterで確認したらご本人だったのがビックリした。やっぱりこの業界は狭い。

 

過去と未来と今の話

プロジェクトを進行していく中で、何度も打ち合わせを重ねるうちに、たくさんの人が絡んでくると、時たま、そのプロジェクトに関係者の力関係みたいなものが反映されてしまう時がある。

あまり良い事ではないのだけど、代理店が絡む案件などでは、「クライアントが、こうして欲しいと言っているので」とか、「見積もり上、どうしても払えないからここは泣いてくれ」など、杓子定規にはいかないのが、この世界。
それは、人が絡む仕事をしているからには、あって然るべきことだし、そこからどうリカバリーするかがディレクションの見せどころでもあるのだが、一番モヤモヤするのが「あー、あの時、こうしておけば良かった」という後悔。

ある意味、そう思えているという事は、過去の自己の実力不足を認識している事なので、良い事なのかもしれないが、その過去の漏れや抜けが、未来(プロジェクトの完成形)に影響してしまうので、タチが悪い。ましてもう、抜き差しならないところまで来ていると、そのまま力技でなんとか進行するなんてことも。大抵、そういう時ほど蓋をしておいた部分が地雷化して、後でもっと厄介なことになるなんてこともあるわけで。

そもそもで、未来があるから過去があるのが、自然の摂理なのだけど、過去によって未来が左右されてしまうと思った時の虚脱感は、ちょっと個人的にはヤバいと思ってる。まして人が絡んで、その自体になる分、怒りの矛先が人に行ってしまったり、人のせいにする自分に自己嫌悪を感じてしまい、事なかれで言われたままに仕事するようになって、他人事なサイトが出来上がるなんて悪循環も往々にしてありがち。

総じて言えるのは、失敗した過去を噛み締めて悲観的になってしまうのが問題っぽい。まぁ、プロジェクトが思い通りにいかない時は悲観的になりがちだけど。
ただ、過去とは自分のしてきた積み重ね意外、何物でもないのだし、それは不変なものなのだから、あまりクヨクヨ考えず、目的に向かって、今、どうするのかを考え行動するのが良さそう。「自分の考えたとおりに生きなければ、自分が生きたとおりに考えてしまう」という言葉がある通り、ある種、楽観的に過去は過去のモノとして切り離すドライさが無いと周りの人間関係やしがらみ、仕来りの顔色を伺う様になってしまうんだろなーと思った。