Sunday, August 18, 2019
 

プロジェクトマネージメントとディレクションの蜜月

Webディレクターになって、なんだかんだで5〜6年くらいやっているが、まだまだ失敗はつきもので、反省の日々をすごしている。ただ、その失敗にも何かしらの傾向があるような気がした。

Webディレクターをやってて楽しい瞬間は、自分が考えた構成だったり、見せ方が採用されて、それが形になった時。
実際に作るのはデザイナーだったりコーダーだったりするんだけど、スタッフの手を借りて、自分の頭の中の作りたいもの(クライアントの目的を達成する何か)が、形になった時は楽しい。

しかし、受注案件となると求められてるのは、クライアントがやりたい事(意図は不明)を達成すべく、スタッフをアサインして、スケジュール切って、素材がいつくるか確認して、素材が遅れたらプンスカ言って、出来上がったもの校正して、テストアップして納品。はい、お金ちょうだい。こんな感じ。
もちろんディレクションにおいてもプロジェクトマネージメントは大切だし「誰が、何を、何時までに、どうするか」を決めないとなんだけど、進行にばかり気を取られてると意図があやふやのまま進行する事がほとんどなので、「作る事が目的」になりがちかと。その割には打合せ中に「提案がほしい」などと言われる事があるので、単純に「ボクPMなんで」というのも違う。

自分は、どうもそこで揺れてる気がした。
要するにPM的な要素を基盤にしつつ、提案できるところは妥協せず遠慮せず提案する。というのが大事なんだけど、自分に足りないのはそのPMの部分が、なんとなく周りに遠慮したり、変に我慢して一人でこなそうとするから全体の把握がイマイチで提案するにしてもどうすりゃいいので、首しめてるところがあるなと。

ディレクターとしての次のステップは「大人のフリしない」って事か。なんとも切実。

 

腹を括るという事

SNS的なサービス(blogなど含む)を企業主導で導入する場合、コンテンツの話をするのはもちろんだが、立ち上げた後の運用の話も当然出てくる。
「誰が、どれくらいの間隔で、どういう風にモデレートするのか」って事。割とWeb2.0が言われ出した当初、どこの企業も乗っかろうとしたんだけど、そこで二の足を踏むことが多かったのを覚えてる。「炎上したら企業イメージが下がる」「いや、炎上してるって事は、反響があるってことだ」とか。で、議論を尽くしたあげく、上長とかに「で、どうします?」とか聞くと「保留で。」とか。よくあった話。なんだかなぁ。

炎上を怖がるという感覚はよくわかる。だれでもネガティブな意見は聞きたくないし、性善説に乗っとって、みんな仲良く楽しくやりましょって事だろう。
だけど、それってすごく気持ち悪いことなんじゃないかなと思う。匿名で意見を言うのがデフォのWebの中で、顔色伺いつつ(誰の?)生ぬるい会話だけが飛び交うサービスなんて誰がやるんだろうか。

そもそもで「炎上したら〜」なんてことをサービス立ち上げる前から考える時点でどうなんだろう。Webサービスじゃなくても何かしらの商品を出したら、それに対してのネガティブな意見なんて絶対出てくるはずなのに、リアルだとそこを気にしないくせにWebになると途端に尻込みしてる気がする。
もちろん、運用としてサービスを利用する上での規約なりを明示することは大切。その上でたくさんのユーザーに使ってほしいと思うのなら、炎上なんてあって当然。あとはその規約に則って毅然としてれば良いんだと思うんだけど。

まだ立ち上げてもないサービスのリスクに目が行くってことは、ある種、先を見越した対応なので大事だとは思うんだけど、それが足かせになるんだったら、そもそもで必要なものかどうかまで立ち戻って考えるしかないのかもしれない。それでも「やりたい!」もしくは「メリットがある」と判断できた上でやるべきだと思う。そこまで考えてないから、立ち上げただけで、運用は他(下請けとか)に任せるなんて無責任な事ができるんだろうなと。

いや、誰がとかいう話ではないんだけど。

 

Webとリアルの補完関係

Webのプロモーションでリアル連動させようというのは、よくある話なんだけど、その手のPRは総じて「サムい」という印象がある。
確かにお金はかかるし、どこぞのマーケティング屋が、やれ「口コミ」だとか、「ロングテールで〜」とか言っているが、そもそものPRの価値がなんなのかが見えてこない。これも目的が後追いで手法が先にきているケースなのかも。

日テレがルパンをつかったPRが進行中だけど、「ルパンがモヤイ像を盗んだ!」とか言われても「あー、じゃぁ、どこで待ち合わせすんの?」という感想しかもてない。
単純に、モヤイ像が無くなった!という部分に感動が持てないのか、まだ無くなったモヤイ像跡地を、この目で見てないからなのかわからないけど、なんとなくシラけてしまう。

ただ、実際にその無くなったモヤイ像跡地を見たら「ほー」とか思うんだと思う。それは実際にリアルで起こった事だし、その実行力は凄いと思う。ただ、それの発端は別にWebじゃなくてもいいんじゃないかなと思う。なんか無理矢理Webに絡めてそんな事しなくても、たとえ「不況など暗いニュースばかりが目立つ日本に、愉快・痛快な話題を提供して活力を与える」ことを目的に立ち上げられたとかいう、あやふやなプロジェクトだとしても、行動の起点にWebは絶対的に必要なものではないんじゃないかと。

むしろ、こういうPRはWeb連動しないで、リアルのみで進行し、その結果を知った人同士でWeb内で、あーでもないこーでもないと言い合ってる方が楽しいような気がする。それこそ真の口コミだし、よっぽど派生すると思う。メディアミックスしないと予算が確保できないという訳でもないと思うし。

あくまでWebはリアルである事(あった事)の補完でいいんだと思う。じゃないと、なんとなく最初からタネ明かしされて「凄いでしょー」って言われてるみたいで、もったいないなーと思った。

 

Web制作の視点からのSEO

SEO施策にはざっくり分けて「内的SEO」と「外的SEO」の2種類がある。内的SEOはサイト内のテキスト記述や、文書構造の施策。外的SEOは被リンクの数を稼ぐのと、ヒットさせたいキーワードにお金を出して、そのキーワードでユーザーがGoogleやYahooで検索した時に上位に表示させる施策。

Web制作屋としてできる事は内的SEOであり、口すっぱくして「コンテンツが〜」とか「なにやりたいのか〜」とか、クライアントにヒアリングをして、それにあわせてマークアップをするんだが、クライアントの目線が外部(ユーザー視点)にある場合の落としどころが難しい。サッカー用品売ってるサイトの来訪キーワードが「ボール」だからって「じゃ、ボール専門サイトを作ろう」ってのも変な話。木を見て森をウンタラではと。

つまりユーザーにどのキーワードで検索した時にサイトに来て欲しいのかが無い場合。
企業系サイトだとアクセス数は多いほどよいという世相に飲まれ、結局、コンバージョンも少ない、「ただ来訪者が多いサイト」になってしまう。なにかしらのコンバージョンをとっているサイトなら良いのだが、月次の定例会議とかで「今月の来訪者はこれだけでしたー」とか、「で?」っていう報告になってしまってるWeb制作会議は往々にして多そう。実際そうだったし。

htmlの記述の仕方だったり、CSSの記述の仕方など、内的施策の手はいくらでもあるのだが、どうしても限界があるのも事実。外的SEOでテコ入れしたとしても、そこも何かしらの裏付けがないと、前述の形で中身のないアクセスが増えるだけ。

「来訪者の質」についての議論って、わりとおざなりになってるような気がする。というかSEO業者にお願いしてる企業だと社内で、そこまでのリソースは割けにくのだけど。一部のWeb屋でワイワイやってるのもある意味で平和なんだが、なんだかそこでお金つりあげて、その手の「草食系サイト」を食い物にしてる気がするんだが。

結局、内的も外的も両方必要なんだから、ターゲット絞ってちょっとずつやれば?ってのが持論。
サイトが来訪者を育てる概念もあって良い気がするんだけど、そこはまた別の話か。

 

無駄という贅沢

子供の頃、算数で「マイナスとマイナスをかけるとプラスになる」というのを聞いて、なんとなく解せないまま、今まできたんだけど算数以外でもこういう事ってあるような気がする。
仕事や人生に置いてもマイナスな局面に、明らかに普段ならあり得ない事とかすると意外と打破できたり。毒を盛って毒を制すというか。
マイナスからプラスに引き上げるのは大変だけど、わりとそういう時って正攻法で行こうとしすぎてる時だったり、周りの視線や評価を気にしてる時だったりするかも。落ちこんでる時みたいにジメっとしたマイナスではないなら、パーっと忘れてしたいことした方が、後々後悔するよりはマシかな。

やっぱり無駄なものは無駄だし、くだらないものはくだらないと思う。でも、それで良いと思う。それは主観だから。
80年代後半の不条理ギャグ世代としては、どうしてもその辺が発想のベースにあったりするので、周りが無駄とかくだらないというものを大事にしたいと思うし、作っていきたいなと思う。本気で手をかけて、くだらないものを作る。そんな贅沢をしてみたい。ただのヘソ曲がりかしら。

それを見た誰かが「くだらねー。でもイイ!」って言ったら俺の勝ち。
なんの勝負かは知らんけど。