Friday, July 1, 2022
 

「Pict」のページを公開しました

自主プロジェクトでやっている「創ピクト」をアーカイブしたのでご報告を。

誰に頼まれた訳でもないのですが、自分の目についたもの、また、普段何となくそこに「ある」けど、流れていってしまう事柄。でも、なんとなく引っかかるその「何か」。それらを自分のフィルターを通して、ピクトグラムという形で表現できたら面白いだろうなと思って始めたのがきっかけ。
少しずつ作品を作り貯めて、「創ピクト」という名前でプロジェクト化し、始めてかれこれ6年目になってました。焦らずゆっくり、作れる時に作ってたのが、良かったのかも。

削ぐというプロセス

ピクトグラム作りに関していえば、ハマると丸1日潰れたりなんて事も。
ただ、デザインを考える上で、余分な情報を削ぎ落とし、物や事の本質を表現するというプロセスは大事だと個人的に思っているので、ある種、ピクトグラムはその極限なのかなと思っています。
テーマ的には、日本にしかなさそうな、情緒的な部分に興味があるので、それらをサイン化する事で、グローバルなものにも昇華できるかもと、分不相応な事も考えてたり。

作る喜び

今後は、物や事のピクトグラム化から、受け手の人の感情的な部分まで、飛躍して捉えられる様にしていきたいなと。また6年目を迎えるに辺り、一度アーカイブ化して、俯瞰で眺めてみたいなと思った次第。
一昨年くらいまでは、この創ピクトで知り合いの喫茶店で個展を開かせてもらったり、その場でポストカードの販売もしていたので、また作品を作り貯めて開きたいと思っています。

あと、ポストカードを作った時、「欲しい!」という言葉をかなりもらって、恥ずかしかった反面、泣きそうなくらい嬉しかった。自分のフィルターを通す事で、そこに価値を創造し、自分にしか作れないものを評価され、対価を得た時の「あの感動」こそ、物作りする上での原点なのかなーと思う今日この頃。

 

「ソーシャル・ネットワーク」を観てきた。

現在公開中の「ソーシャル・ネットワーク」を見てきたので、感想など。ただしWeb屋としてでなく、いち映画好きの感想として。

ソーシャル・ネットワーク
題材としてはFacebook創立時の物語。創業者のマーク・ザッカーバーグを通して、その成り立ちを綴った作品なのだけど、またそれ以上に、デヴィット・フィンチャー監督最新作って事で「セブン」「ファイト・クラブ」等、氏の作品ファンとしては見ない訳にはいかないなと。ただWeb界隈の話を見る限りFacebookの話が先にきてしまっているので、なかなか取っ付きにくいのかなぁと思っていたのだが、映画館もほぼ満席の状態で、昨今のFacebook自体への関心の高さが伺えた。

あの監督ならでは

大まかな話としては、プログラミングアーティスト(造語)の主人公の人間性と、それを取り巻く友人、仕事仲間、利用しようとする大人達の人間模様をテーマにした会話劇。また、根底にある資本主義社会へのブラック・ユーモアたっぷりな所も、デヴィット・フィンチャー作品ならではのエンタメ性と言えると思う。あの独特の渋い色彩の撮り方も健在で、「おお、これぞフィンチャーだ。」と、変な安心感もあったりして。また随所でクスっと笑える部分もあり、個々のキャラクターが、しっかりと立っているのが、過去のデヴィット・フィンチャー作品との大きな違いだと思った。

主人公は一人の若者

会話劇である事は、人物の心理描写についても良い影響を与えている気もした。映画の中の話し手が個々のキャラクター性で話すカットから、聞き手の相手の表情に意識もいく。それによって、観客もつい映画というより会話に引きこまれるという効果がある。ともすれば、Facebook凄いんですよーといった妄信的賛美と裏側の株と訴訟がメインの退屈な作品になりかねない題材だと思うけど、過去と現在のリンク、またそれらを基にした会話劇によって、作品全体のテンポがとにかく良い。もともと、人間の内面を撮る事には長けている監督なだけに、その辺は、さすがといった感じ。主人公自体も決してスーパーヒーローの様な扱いにはなっておらず(プログラミングしてるシーンは除く)、一人の若者としての描写に徹底しているあたり、個人的に好感が持てた。

とにかく、Webを知っていなくとも、ざっくり「青春ビジネス物語」として十分楽しめると思うし、Webを知っていればもちろんだし、この現在のfacebookの株保有率チャートを見てから観に行けば、より楽しめると思う。もちろんエンターテイメントとしての脚色はあるのだけど、ベンチャーで起業を目指す人や既に起業してる人にとって良い刺激になるだろう。また、これからFacebookを始める人、もうFacebookをやっている人には、Facebook(SNS)が、どういうツールなのか、裏側にあるビジネス的な部分について考える良いキッカケになると思う。

映画全体を通して根幹にある皮肉さと、そもそもの作品全体の面白さから、やっぱり面白いのはFacebook自体じゃなくて、関わる全ての人間なんだなーとこの映画を通して改めて思った。

 

世界の輪の中の和の国のSNS

にわかに、だが確実に盛り上がっている(一部業界だけ?)Facebook。ただ、日本にもmixiやGREEといった似た様なSNSサービスは既にある。

今頃なぜFacebookなの?というそもそもの疑問もあるのだが、ただ単純に一部のWeb営業や、マーケティング屋さんが、新しいWeb商材を見つけたというだけで済ませてしまうのは、もったいない気もする。当初、mixiを使っていたユーザーとして、SNSの本質とそれぞれの活用の本質について、自分の経験も踏まえて、少し考察など。

世界は1つ

今から3年ほど前、自分はカナダのトロントに短期で過ごした経験があるのだが、その時に知り合った人たちは、カナダ人、韓国人、メキシコ人、ブラジル人、トルコ人、ルーマニア人と様々。それまで海外経験が無かった自分には、そこで知った個々の国の文化、グループ、人柄の違いに非常に驚いたのを覚えている。それと同時に「あ、自分は日本人なんだ」と、今まで当たり前だった感覚を一歩引いて感じられたのが印象的だった。自分も世界の中の1人なんだと思えた瞬間だった。

Facebookはバベルの塔?

当時すでにFacebookのアカウントは持っていたのだがSNSは、mixiを基本でやっていた自分としては、イマイチ、インターフェースがわかりずらく「こりゃ、日本では流行らんだろうなぁ」などと感じていた。「まぁmixiでいいや。というかそんな何個もできないし」というのが本音だった。で、海外にきてネットができる環境に来て、そこにあるモニターの画面をチラ見してみると、ほとんど似た様な画面を閲覧しているのに気付いた。みんなFacebookをやっていた。だが、同じ人種という訳ではなく前述の各国の人たちが同じSNSサイトを見ていた。もちろん当時既にTwitterはあったし、似た様なサービスもいくつかあったのだが、その光景を見て「海外ではFacebookなのかー」とその時は軽く感じていた。

Facebookとmixiの違いの根本

単純に言ってしまえば「マーケットが違う」という事になる。Facebookは世界、mixiは日本。その市場の差でしかないのかもしれない。じゃぁ、端的に「世界の人はFacebookで繋がっています!さぁ、日本も!」と言っても、結局、同じ言語の人たちとばかり繋がっていたり「自分の行動や言論を知られたくないから匿名で」だったら「じゃぁ、mixiでいいじゃん」という話。ただ個人的には、Facebookとmixi(日本のSNS)の違いの根本は、そのSNSサービスとしてのポテンシャルにある。Facebookには世界と繋がれる可能性が、mixiには日本の人たちと(当たり障りない程度に)密に繋がれる可能性があるという違い。どちらが良い悪いという話ではなくて、利用者次第でそれぞれのサービスのあり様や使い方が変わるという、まさにソーシャルの根本の話。ただ、その枠の外壁をどこに置くかで、差が歴然と出てくる。

日本のSNSサービスの多くが、日本というマーケットだけでパイを取り合っている理由は、「対称ユーザーが日本人(気質)だから」というのも理由の後ろにありそうな気がする。逆に、当初、一大学の学生用交流ツールだったFacebookが、ここまでシェアを伸ばしたのは米国という他民族国家の風土は無視できない要因だと自分は思う。そのアウェイの中、日本人ユーザー(企業アカウント)が、どう立ち向かうのか。これをチャンスと海外進出を視野にいれるのか。または、日本の既存ユーザーの取り込みに精を出すのか。どちらも間違いではないと思うし、個々の企業指針なので、目的を見据えて活用したら良いと思う。

ただ、来訪ユーザーのデータという裏付けを盾に、既存サイトのサービスを厚くするため、ゲーム開発に走る日本のSNSの姿を見る限り、ガラケーならぬ、ガラSNSのクールジャパン化は、思ったより早く来そうだなーと思ったり思わなかったり。

 

与える事で得られる大きな力

昨今のWeb制作案件は、ニーズの多様化、またツールの複雑さなど求められるソリューションが多岐にわたっている。

そのためWeb制作会社は、その「会社」という性質上、Webデザイナー、マークアップエンジニア、プログラマー、プロデューサーなど多種の職能の人達が携わることになる。Webディレクターは、それら海千山千の猛者たちを束ね、スケジュールを組み、アサインをし、プロジェクトを成功へと導く事が使命となる。ただ、それは必ずしも一筋縄ではいかない事が多々ある訳で。

忘れられがちな原理

Webディレクターは、プロジェクト成功という目的のため、たくさんの人達と関わりあう。つまり、うまく周りを巻き込み、時には上司や部下、外注スタッフとも蜜にやりとりをする必要がWebディレクターにはある。よく、そういった際に「コミニュケーション力が必要」と言われるのだが、最近、この手の言葉に個人的に漠然とした違和感を感じ始めている。もちろん、情報共有は必要だし、それらのための様々なツールはある。また便利でもある。ただ気をつけたいのは、このオブラートでグルグル巻きにした「コミニュケーション力」という言葉に踊らされる事無く、その目的である「どうやって周りを巻き込むのか」という事を忘れない様にWebディレクターは気を付けないといけない。

烏合の衆にならないように

プロジェクト(会社)は、たくさんの職能が携わる。つまりたくさんの人が関わってくる。よって、それぞれのそのプロジェクトに携わるためのモチベーションも様々だという事をWebディレクターは、常に意識する必要がある。お金だけが目的なのか、何かこのプロジェクトから新しいものを得ようとしているのか、言われた通りの事しかする気がないのか。個々の都合を見極める必要がWebディレクターには必要で、それらに応えないと人は(すすんでは)動かない。

自分の「持っている」価値は、どんなものがあるのか。

では、どう応えるのかという話になるのだけど、前述のとおりニーズは様々ある。ただ、応えるための選択肢は、おおまかに言って1つしかない。それはWebディレクターが持っている情報の中からしか出ないという事。つまり、個々のスタッフのニーズから、プロジェクトへの参加を促す「口実」を見つけるないし、生み出し、それらを交換する事が必要になる。例えば、金銭が目的の人なら最初にプロジェクト成功時の報酬額を伝えるのもありだし、また、必ずしも金銭や物でなくても良い。新しいもの得ようという人には、このプロジェクトから何が得られるのかを客観的に伝える(価値を提示する)だけで、きっと動いてくれると思う。

Give&Take+Give&Take=全部Take

大事なのは、人は常に何か見返りを求めているという事を意識し、では、どんな見返りを自分が提示できるかを考えること。Takeが欲しければ、まずGiveをする事。そのためにまず、自分が何をGiveできるのかを把握すること。もちろん、必ずしも相手にGiveしたからといって、その相手からTakeが返ってくる保証は無い。でもその「Giveをした」という事実から得る経験もあるし、次の手を考える上での資料にもなる。場合によっては、それまで相手の頭に無かった新しい価値を与える事もできるかもしれない。それは十分、Take足りえるものと言えると思う。

一番怖いのが、すぐに外的なツールにソリューションをアウトソーシングしてしまうこと。一時はそれでもよいかもしれない。表向きにはプロジェクトは進行するのだから。ただ、必ずしもそれが自分の巻き込みたい相手が、求めているものとは限らない。また、本来の目的が、プロジェクトを進行する事でなく、成功するためであるという事をWebディレクターは、忘れてはいけない。
それは、本来、サイトのコンテンツを考えるべき部分で小手先のjQueryでの見せ方に逃げがちの、Web屋の悪いクセかもなーと思った。

 

「キック・アス」を観てきた。

久しぶりに観た映画の感想など。

「キック・アス」
当初、単館での映画だったぽいが、都内でも徐々に上演館が増えてきたらしい。自分は新宿で観た。ただ、新宿でやっていた「キック・アス」は、フィルムでの上映では無くデジタルでの上映なので、若干の画質落ちはあるが、自分としてはさして気にならなかった。
「キック・アス」のストーリーは、コミックヒーローに憧れる主人公の青春と暴力のプロ達(敵味方含む)を巻き込んでのブラックコメディバイオレンスという感じ。主演子役の女の子がかわいく、ネット界隈ではそちらの話が前にでている様だが、自分として好感が持てたのは中に散りばめらてる「映画愛」

オマージュの数々

ざっと挙げても「レオン」「ニキータ」「マスク」「ジョン・ウー関係もろもろ」「トゥルーライズ」「バットマン」「タクシードライバー」などなど、そのオマージュと思えるシチュエーションやセリフなどが随所に出てくる。撮り方や小道具、出てくる車などもしっかり作りこまれてる。

「キック・アス」はプロデューサーにブラット・ピットがいるのだが、ニコラス・ケイジとのタッグで考えれば、上映規模がこれだけってのは、本当にもったいない。が、R-15指定である事と実際の内容を観る限り、まさに「キック・アス」は、「バイオレンス映画好きによるバイオレンス映画好きのための映画」と言ってもよいかもしれない。かといって、任侠な話だけでなく、箇所箇所で笑える部分が出てくるのが、緩急が効いて思わず唸ってしまった。特に個人的にラストに爆笑してしまった。

バイオレンスとホラーとシュールのどこで笑うかは、個々のセンスなのだけど、昨今のヌルいテレビに飽きてる人には、「キック・アス」は、良い刺激になると思う。

余談だけど、「キック・アス」内のヒロインの友達役の女優さん。名前は、ソフィー・ウー[Sophie Wu]
Facebookのファンページもある。今回は正直、チョイ役なので機会があれば他の作品での、演技を見てみたい。つまり、可愛かったという事。