Tuesday, October 19, 2021
 

「情報の共有」が含む2つの意味

人対人のコミュニケーションをする時、会話や電話、メール、SNSなどWeb上でのやりとりなど、そのシチュエーションも多様化しつつあり、それぞれのコミュニティで人の輪を広げている人もいる。

ただ、シチュエーション(ツール)こそ違えど、その中にいる人達の交流のベースはあまり変わることなく、1つのテーマや問題点について情報のやりとりをするのが常と言える。が、それぞれのツールには得手不得手がある。それは人がやりとりしている情報の目的は大きく分けて「事実の共有」「感情の共有」があるからだと思う。

事実の共有とは

事実というのは客観的な数値や考察、一部、個人の過去の経験則からの話が主になる。つまり(個人的範疇の)結果から紐づいた論理的過去を相手に伝える事。1+1が2である事が世の中の普遍である様に、揺るがない事実にはそれ相応の力が宿るし、事実の共有とはその力を召喚しそれが正しいという概念を相手と理解しあう事といえる。メールやブログなどWeb上での情報のやりとりがこれに適していると言える。ログで情報を残す事で客観的過去として後に確認する事ができるのも大きな利点。

感情の共有とは

喜怒哀楽の感情のみならず、説明できないなんとなくの感覚。「自分はこれに対してこう思う」といった感情を相手と分かち合う事。理屈や論理ではなく、個々の中のモノサシで測られるそれは主観以外の何物でもないし自信の賜物。その主観を相手に伝え共感を得るのが感情の共有と言える。会話や電話、強いて言うなら自筆の手紙が適している風に感じる。

その伝え方

自戒も込めて言うけど、たまに使い方を間違えてしまう人がいる。よくあるのは女性の愚痴めいた会話に対して改善点を述べてしまう男性とか、逆に、問題が起きてどうしたら良いのか困っている部下に飲みにケーションをとろうとする上司とか。特にWeb関係の人は、事実の共有に目線が行きがちでリアルでの人間関係でもそういった、ただ事実をやりとりするだけのコミュニケーションしかできなくなってしまっている人がいるのでは。

余談だけど、事実という情報は、ある問題の前で時に「答え」の顔をする。過程をすっ飛ばして答えを出し「こんな事もわからんの?」という態度を取る人がいるけれど、得てしてそういう人が知らない事をこちらが事実として伝えるとイヤな顔されたりなんてのもよくある話。逆に事柄に感情を乗せ過ぎて「感情的」になってしまう人もいる。それは共有ではなく一方的な爆発なので、受け止めるには時間もかかるし、距離もとりたくなる訳で。また性別によっても、男性は事実の共有、女性は感情の共有に偏りがあるみたいで男女の間の深くて暗い河ってこれかなと思ったり思わなかったり。

とにかく一概に情報の共有と言っても2つの意味があるし、それぞれに適したツールがある。おそらく色々なツールが出てきた上で生まれた後付けの概念なのだろうけど、これから先の人と人のコミュニケーションにおいて適材適所の考え方は割と重要になってきそうな気がする。総じて言えるのは、「自分が相手とどちらの共有をしたいのか。また相手がどちらの共有を求めているのか。」をまず想像することが大事と言えそう。自分がどちらに偏りがちかも踏まえ、扱う情報に沿ったツールを選ぶ事でコミニュケーションの輪の形も変わってくる様な気がする。

これを書いてる時点で、個人的には「こう思う」という感情の共有をしてるつもりだけど、ブログが事実の共有に適したツールである以上、その真意がどこまで伝わるのかは、やっぱり謎だし伝わらなかったらやっぱり悲しい。せめて仲間が欲しいなーと思う今日この頃。

 

色メガネ越しで見る11インチMacBook Air

先週、発売された11インチMacBook Air。自分も発売日にヨドバシカメラに実機のMacBook Airを見に行ったクチなんだけど、そこで色々と見て、触って、感じた事がある。

言うまでもなくMacはただの道具なので、自分のスタイル合わせた機種を購入するのが筋だと思うのだけど、この11インチMacBook Airに関していうと、その用途としては、物書きの人や、主にメール、ネットサーフィンなどが使用の主体となっているMacユーザーにとっては、まさに待ちに待った機種だと言える。様々なサイトでMacBook Airのベンチマークでの検証がされているが、「CPUはアレだけど、SSDのパフォーマンスは抜群」というのがスペック面から大勢の意見の様。既存の「Macは挙動がモッサリしてるからちょっと。」というのは遠くなりつつあるし、iPodの発売から始まり、iPadを経由してのMac製品へのFBで、よりライトユーザー寄りのプロモーションでパイを広げるジョブズの考えが見え隠れしてる。

11インチMacBook Airはドラ息子

別に自分はAppleの株主ではないので、どうこう言える立場では無いのだけど、ただ、「その用途MacBook Air買うんだったらネットブックで良くね?」と言うのが触ってみての感想。もちろん自分のMacの用途とは合わないというだけだし、だったら買わなければ良いだけの話なんだけど、その11インチという大きさゆえのメリットとデメリットが、割とハッキリと見えていて、かつ購買の理由が「Macの製品だから」の占める部分がかなり多い。今までのお付きあいありきで話が進む二代目社長みたい。
つまり11インチMacBook Air は既存のMacユーザー向けの買い替え機という位置づけがクッキリ見えるし、それ以外の決定な購買理由が見いだせない。もちろんMacBook Air自体のスペックは素晴らしいんだけど、所謂PCライトユーザーがそこまで気にして買うとは到底思えないし、ジョブズの意図せずして、Apple玄人による玄人向けの製品なのかと。Adobeとの件やiPhone4の機能の件もあるけれど、どうも最近のAppleはガラパゴス化の道を進んでいる様な。ま、そういうところが好きなんだけどな。

ホメるという事の裏側

「そういう機種だから!」って言われればそれまでなんだけど。アルファブロガーな人達が概ね、好意的な意見を多く述べてるのも「11インチMacBook Airは、物書き主体ユーザー向け、Mac商品」というソリューションで考えれば納得。逆にMacでデザイン制作をしている人の意見をあまり見ないのも、なんだか逆に気持ち悪い。そういう人はあまりブログは書かないからなのか、ハナから「あんなウィンドウサイズでイラレ開いたらどこで作業すんのよ」って事で無視なのかしら。Adobeの人の意見とか聞いてみたい。情報の偏りが発生しているとしたら、ちょっと残念だなーと思う。

なので、個人的、結論としては11インチMacBook Airの購買は見送り。買うならリビジョンアップした平から叩き上げのMacBook Proをクラムシェルモードで23インチモニターかなんかで使うのが理想か。その頃には今のiMac(4代目)ともおさらばだなと、夢は膨らみ残高は減る一方。こえー。

そ~いえば、高校の友達が初期のiBook(オレンジ)を購入してウチに使い方を聞きにきたのも良い思い出。あれから10年経ったんだな。

 

AIDMAを体現する5つの方法

広告業界でいうとこの「AIDMA」は広告宣伝に対する消費者の心理のプロセスを示している。

AIDMAの中身は Attention(注意) Interest(関心) Desire(欲求) Memory(記憶) Action(行動)なのだけど、これを個人レベルの生活に落とした時、営業や人脈形成、恋愛など人とのコミニュケーション時におけるそれぞれの過程での方法を考えてみる。狙いとしては、元来、人は広告という紙やWebといった媒体からみた対象物に終始するけど、AIDMA を体現する事で発信側として、気をつけるべき点が見えてきそうな気がしたから。

体現する前に考えておくべき事
忘れがちな事だけど広告を出す前に「誰に対しての広告なのか」をまず考える。ターゲットは誰なのか。また「どんな面を魅せるとどんな効果があるのか」。あと「視覚のみでは伝えられない魅力は何なのか」も考えておく。ここでの広告物は自分なので、見た目では伝わらない自分の長所を把握しておく。自分が自信を持ってるところ(持ちたいところ)があれば良い。

Attention(注意)
広告はまず、道行く人の注意を惹かないと始まらない。注意を惹くという事は、良い意味で周りの環境と違和感がある状態の時に起こしやすい。仮にだけど足を挫いて片足をひきずっていたとする。普通に歩いてる他の人との違いから周りの視線が気になる時がある。心理状態としては、自分も他者の違いに注意を惹かれてる状態なので、恥ずかしかったりもするのだけど、Attentionの目的達成としては成功といえる。が、それだけのために片足を引きずるのは難儀なもの。ここで周りを見回してみると、背筋を丸めて下を見て歩いている人が多いことに気づく。この「周りを見回す」というのが重要で所謂、マーケティングになるのだけど、無理に突飛や奇抜な手法にこだわらず、周りと少し違うだけで注意を惹くという事は可能だと思う。なので割と当たり前だけど「姿勢よく歩く」というのはAttentionの面からも有効といえる。

Interest(関心)
注意を惹くだけなら、全身真っ赤な服を着るだけでも可能だし、やたらと声がデカイのも良いだろう。でも、それだけでは「悪い目立ち方」になってしまいかねない。人の関心を呼ぶ様な見せ方が必要になる。一概に、人の関心と言っても千差万別なので、前述の「誰に対して」から理想の見せ方を仮説する。ギャルが好みならそれなりの恰好になるだろうし、メガネフェチ狙いならメガネをかけるのもある。でも重要なのは見た目だけでなく、言動や「僕はこんな事に興味があるんだ」という事を周知するのが望ましい。だって服脱いだ時どうするの。とにかく「対象が望んでいそうな情報or魅力を自分は持ってるよ」という事を伝達する。で、具体的な方法としては「はっきり喋る」。Interest(関心)は視覚のみだけでなく聴覚もチャンネルとして活用できる。

Desire(欲求), Memory(記憶)
「誰に対して」のターゲットの選定からAttention(注意)と Interest(関心)ができていれば、あとはそれを「継続する」。AとIを対象者の層へアプローチし続ける事で、対象に自分を認識させられれば、あとは工夫とタイミングとちょっとの後押し次第。そうやってコンタクトをとる数が増えれば相対的に Desire(欲求), Memory(記憶)してもらえる人も増える。ただ「押してもダメなら引いてみな」とはよく言ったもので、安売りはよくない。前述の「対象が望んでいそうな情報or魅力を自分は持ってるよ」ということに「自信を持つ」。仮にそれが大したことがなくても構わない。それは主観的で個人的な意見だし、だれかと競争している訳ではないのだから。

Action(行動)
上記AIDMの実践ができていれば Action(行動)は自ずと結果としてついてくる。そしてその結果に「感謝する」。新しい付き合いが始まったことに感謝し、お互いに刺激しあえる関係性になるためには、ここからがスタート。なので大事なのはAcitonのあとのアフターフォローだったりもするのだが、それはまた別の話。

挙げてみると、どの方法も小さい頃から親に言われてきた小言ばかりの様な。。ちょっとした立ち居振る舞いを大切にすることで生活って変わるんだなーと思った。

 

構造と対価

経済活動とは、何かしらのモノやコトをニーズに対して提供し、対価(金銭)を得る事をいう。飲食だったらメニューだし、金融だったら資産運用のプランとか。または福祉系のように無形のサービスを売るというのもある。

それら商品をラインアップとし営業手法を用いて販売し、対価を得るためにみんな頑張ってるのだけど、でも時として、営業は「売れるかどうかは商品の良し悪し次第」と言い、制作は「商品が何であれ売ってくるのが営業の仕事」と言う事がある。

それぞれの役割はあるし、自分の範囲外を適所に委託するのは、別に間違ってないと思うのだが、「売れないのは商品が悪いからだ」と「売れないのは営業力が無いからだ」という議論。特に話が商品ありきの時が多いのだが、イニシアティブを営業が持つか、制作が持つかにもよるけれど、それが責任のなすりつけあいになってしまう事がままある。
結論としては、「どっちもどっちじゃね?」って思うのだけど、なぜこういう議論になりがちなのかは考える必要がありそう。

個人的には、経済活動していく上での構造と起点に問題がある様に思う。特に「周りの情報を見てると、こんな商品が儲かるらしい」とか「上司(クライアント)が作れといったから」というのが起点なっていると怪しい。

どちらにも言えるのは、世の中や会社といった自分の外側が発想の起点になっているという事。状況や実現可能な事柄に自分を合わせる、すり寄り型と言ってよいかも。なので、商品もいかに外側のニーズにマッチしているかが基準になるし、営業は言われたままに作った商品をクライアントの前に並べるだけ。
制作も得られる対価は見えているので、それ以上のブラッシュアップを能動的にしようという動機も乏しい。もちろんニーズには則しているのだから、売れて当たり前と営業は思い、制作は頼まれたものをただ生産するだけの工業化に陥る。ただ、経済活動は成立しているので、結果としては問題無いという事になる。

面目上は「世の中のニーズをいち早く読み取り、先進的技術でソリューションをご提供」って話なのだけど、どうもそれだと、意識の空洞化を感じるときがある。
発端が外部からというのが、経済活動する上で基本的構造なのはわかる。ただ絶対に忘れてはいけないのは、「自分が当事者である」という意識と「自分の想像を具現化できる場所を活動の場の中で確保する」という事なのでは。それは、エゴイズム的にやりたい事をやるという事ではなくて。営業だったら商談の場だし、制作だったら制作物がそれらのステージになる。そこすらも他人のせいにしてしまっているから、責任のなすりつけあいになってしまうのだろう。

会社や組織の中では役割分担は然るべきだし、なかなか難しいのだけど、他人任せの経済活動では、いつまで経っても「満足感」という対価を得るのは難しいんじゃないかなーと思った。

 

広める事と伝える事

企業において新製品や新サービスを世に提供する際、その告知の場としてWebサイトを利用するのは、昨今当たり前になっている。

ただ、その告知の目的や対象ユーザーの選定が、明確でない場合や告知する事自体が、目的になってしまっている用件も多い。その辺の答えのヒントに「広告と広報の違い」があると思う。

一般的に広告と広報の違いは

  • 広告において発信者は「商品やサービスの提供元」、受信者は「エンドユーザー」
  • 広報において発信者は「商品やサービスを認知したメディア、インフルエンサー」、受信者は「エンドユーザー」
  • になる。

    最終的なゴールはエンドユーザーという点で同じ事になるが、発信のチャンネルが違う。広告は直接、広報は間接というイメージ。なので、Webサイトという枠内で考えた時、提案時に個々のサイトの特徴をしっかりと掴んで手法を選ばないといけない。
    例えば広告をしたいのであれば、企業が自社サイトで、もしくはポータルサイトの広告枠を買い、新サービスをエンドユーザーに紹介するのがゴール。広報をしたいのであれば、レビューブログや口コミポータルを介してエンドユーザーに認知してもらうのがゴールになる。広告活動は商品やサービスの良さやアピールポイント、世界観を直接伝えるのが主。広報活動は受け手側の率直な感想や批評の対象になり得る様に発信媒体へ種を撒くのが主になる。

    個人的には、Webサイト制作において、どんなサイトの種類であれ常にサイトは広告であるべき(直接的という意味で)だと思っている。IRサイトの制作や企業ブログ、Twitterなど企業の都合で広報活動の一環として存在するコンテンツもあるが、企業の活動を直接的にエンドユーザーにアプローチするという意味では、本来これらは広告活動であると思う。

    マーケティング的な立場で言えば、たくさんの人がその商品、サービスを認知し、購買の対象にしてもらえる状況を作る事が最も望ましいのだから広報活動が大事というのはわかる。でも、そもそもでWebにおける広告、広報活動は、Web≒メディアという同じ土俵なのに、広報(二次的広がり)に期待した作りや設計は、どうもまわりくどいなーと思う。まして、受け手の状況からしても、興味のある情報に直接アプローチできる環境は、すでに整っているのに。
    もちろんアフィリエイトや口コミレビューはWebの特性を生かした良い仕組みだとは思うし、口コミからの拡散が低コストで効率が良いのも分かるのだが、それはあくまで副産物であり、そこをメインにしてしまうのは、あまりに森を見て木を見ていない気がする。

    まぁ、儲かる状況を作れますよって言った方が、客受けも良いし売れなかった時の責任も軽いからと言えばそれまでだけど、サイト利用者にとって便利なツールを作る事が目的のはずのWeb制作において、ツールを作る(直接エンドユーザーとコミュニケーションする)ことでなく、ツールの評判を広める事に目がいきがちなのは、この業界全体の悪いクセだなと思った。