Friday, December 15, 2017
 

自分を愛でる

f17-130年も男をやっていると親や周りから褒められるという事がなくなってくる。
むしろ激励という名の批判だったり、足りてないところの指摘などのほうが多くなる。それだけ期待されてるってことなんだろうし、言われてるうちが花なんだけど、自分の場合はそこから自己批判に走ってしまうので、あまり精神的によくない。

褒められてるうちは、まだまだというけれど、幼少時とかにあまり親から褒められた経験が少ない人間としては、自分の立ち位置というか居場所が「言われた事に素直に従う事」とかにあったりするので、本来、自分ができる事とかでも無意識に手を抜いたり、周りからの指摘を待ったり、携わってる物事への関心が足りなくなったりしてた。仕事でもレギュレーションが曖昧だとイライラしたり、型にハメて動こうとするので、なぁなぁで動く事に戸惑いを感じてしまう。PM的には、そこを明確にするのが大事なんだけど、それに依存してしまうので、融通がきかず、違う意識の人から指摘を受けた時、自己批判におちて、ネガティブなスパイラルに入り、結局、開き直るという繰り返しだったような。

年末は、アスペルガーの本とかアダルトチルドレンの本とか人間失格を読んだりしたんだけど、今年はちょっとずつ、怒られたりしても「イヤなものはイヤ」と言えるようになりたいなーと思ってる。そのせいか、周りから指摘されても、前ほど気にならなくはなってきたかも。そこで自分の軸ができれば、人が決めたレギュレーションや手法に依存する事なく、自分で判断できるようになれそう。むしろ自分に足りないのは、そういう場面でこそ自己批判に走らず「こんなに頑張ったじゃないか」と自分を褒め(愛す)る事なんだと思う。

とかく自分にとって、この世は生きにくい。でも、そこに気がつけただけでも素晴らしい。
今年は些細な事でも、ちゃんと自分を褒めていきたいと思う。

書いててなんか泣けてきたけど、嬉し涙の感覚に近い。変なの。

 

暮れの元気なご挨拶

yamahasea2いつの頃からか年賀状を書かなくなって、それが当たり前になっている。
かといって、「あけおめ」メールをする事もなく、なんとなく、そういったキマリの挨拶みたいなことをするのに照れみたいなのを感じてしまうのだが、小学校の頃に担任の先生に年賀状を書いて、それ以来書いていないかもしれない。あんまり覚えてない。高校とかは多分皆無。まぁ、普段から顔合わせてる仲だし、何をいまさらおめでとうなのかとツンツンしてた時期だったかも。

ブログとかTwitterとか自分発信のメディア思考だと、あまり自分から誰かに年賀状を書いたりって事が億劫になりそう。自分のブログで「新年のご挨拶」なんてタイトルで、つらつら抱負を書いて友達がコメントで返事とか。それがいいのか。楽だから。

それでいいのかはわからないけれど、書かない自分が言うのもなんだが、なんとなくそれに世の中がつられてしまっている様なフシを感じる。郵政方面の人は置いといて。デジタルはともかく、郵便に思いを託すというのとはまた違った、新年の自分の気持ちの表現方法って他にないかなーとか考えたけど、やっぱり会って挨拶するのが一番良い気がする。それが一番伝わりそう。暗い話が多いので、愚痴など言いつつも楽しく時間を共有するのが一番の挨拶なんだろうなぁ。年始とか一応区切りの時に自分の大事な人に会って、親睦を深めるというのは、案外バカにできないのかもしれないなーとか思った。

振り返ってみると、今年は、元旦から年末まで本当に「自分について」を考える事が多かった1年だった。
周りから言われてた事は、意図する部分はずっと同じで、なんとかその都度、こうしようあーしようと考えてたんだけど、結局、補えないまま一年終わってたんだなーと思った。後半はすっかりバテたし。ただ足りてない事を個性と受け入れ、そこからどうするのかを来年は考えてやってかないとと思ってる。なんとなくやっと自分の軸が見えてきた感じ。スタートはネガティブっぽいけど、考え方次第かも。

世の中は色々あるからー どうか元気でー お気をつけてー。

 

批評の責任力

m12-2クライアントにしろ制作にしろユーザーにしろWebは、様々な人が絡むのでそれぞれの意見だったり、事情だったりがあったりする。

その時の「落とし所」については、割とその「落とせる所に近い人」が落とすというのがよくあるんだけど、落とすには、落とすなりの理由だったり、個々の意見を聞いたり、そもそもの到着点や仕様と照らし合わせて、「まぁ、この辺かな」って感じでする事が多い。折り合いというよりも現実的な部分(コストとか納期とか)と理想(クオリティとか)の中間を狙うイメージ。

一番困るのは、制作してる時にチェック時とかに意見と言う名の批評は言うものの、その理由がない場合。明らかに間違ってるとこは修正するんだけど、批評とかの場合、そもそもでなんでそれがダメなのかという理由がサッパリなので、裏付けが薄いまま。でも落とさないとだから勘で落とす。で、外しててまた批評がくるという負のスパイラルに落ちるときが、2年に1回くらいの周期であったりする。

相手が何を望んでるのかをハッキリさせるのかが自分の仕事でもあるんだけど、情報が取れてない理由は、コミュニケーション不足だったり、お互いに「それ考えるのは、そっちの仕事でしょ」的な思い込み作業仕分けがあったり、そもそもでこちらが理解できない難しい仕様だったりとか様々あるとは思うんだが、代替案をくれとまでは言わないが、せめて批評(間違いを指摘する)なら「なんでそれが間違いなのか」を言うべきなんじゃないのかな。

正論(主観含む)として言ってきてるのはわかるし意見を言うのは大事だというのはもっともなんだけど、間違えたとこを機械的に指摘して、あとはそっちで考えろってスタンスがどうも好きではない。
声がでかけりゃ勝ちなのか?それだと相手を追い詰めるだけだと思うんだが。

でもそれは、それぞれのスタイルだし、そういう人なんだからって話なのかもしれなけど、純粋に自分はそうはなりたくないし、仮定や理想を語るなら、じゃ、それをどう実現するか(なぜそれが必要なのか理由)をちゃんと考えたいなと思った。

 

プロジェクトマネージメントとディレクションの蜜月

wonderbra_father_son_parkWebディレクターになって、なんだかんだで5〜6年くらいやっているが、まだまだ失敗はつきもので、反省の日々をすごしている。ただ、その失敗にも何かしらの傾向があるような気がした。

Webディレクターをやってて楽しい瞬間は、自分が考えた構成だったり、見せ方が採用されて、それが形になった時。
実際に作るのはデザイナーだったりコーダーだったりするんだけど、スタッフの手を借りて、自分の頭の中の作りたいもの(クライアントの目的を達成する何か)が、形になった時は楽しい。

しかし、受注案件となると求められてるのは、クライアントがやりたい事(意図は不明)を達成すべく、スタッフをアサインして、スケジュール切って、素材がいつくるか確認して、素材が遅れたらプンスカ言って、出来上がったもの校正して、テストアップして納品。はい、お金ちょうだい。こんな感じ。
もちろんディレクションにおいてもプロジェクトマネージメントは大切だし「誰が、何を、何時までに、どうするか」を決めないとなんだけど、進行にばかり気を取られてると意図があやふやのまま進行する事がほとんどなので、「作る事が目的」になりがちかと。その割には打合せ中に「提案がほしい」などと言われる事があるので、単純に「ボクPMなんで」というのも違う。

自分は、どうもそこで揺れてる気がした。
要するにPM的な要素を基盤にしつつ、提案できるところは妥協せず遠慮せず提案する。というのが大事なんだけど、自分に足りないのはそのPMの部分が、なんとなく周りに遠慮したり、変に我慢して一人でこなそうとするから全体の把握がイマイチで提案するにしてもどうすりゃいいので、首しめてるところがあるなと。

ディレクターとしての次のステップは「大人のフリしない」って事か。なんとも切実。

 

腹を括るという事

a26SNS的なサービス(blogなど含む)を企業主導で導入する場合、コンテンツの話をするのはもちろんだが、立ち上げた後の運用の話も当然出てくる。
「誰が、どれくらいの間隔で、どういう風にモデレートするのか」って事。割とWeb2.0が言われ出した当初、どこの企業も乗っかろうとしたんだけど、そこで二の足を踏むことが多かったのを覚えてる。「炎上したら企業イメージが下がる」「いや、炎上してるって事は、反響があるってことだ」とか。で、議論を尽くしたあげく、上長とかに「で、どうします?」とか聞くと「保留で。」とか。よくあった話。なんだかなぁ。

炎上を怖がるという感覚はよくわかる。だれでもネガティブな意見は聞きたくないし、性善説に乗っとって、みんな仲良く楽しくやりましょって事だろう。
だけど、それってすごく気持ち悪いことなんじゃないかなと思う。匿名で意見を言うのがデフォのWebの中で、顔色伺いつつ(誰の?)生ぬるい会話だけが飛び交うサービスなんて誰がやるんだろうか。

そもそもで「炎上したら〜」なんてことをサービス立ち上げる前から考える時点でどうなんだろう。Webサービスじゃなくても何かしらの商品を出したら、それに対してのネガティブな意見なんて絶対出てくるはずなのに、リアルだとそこを気にしないくせにWebになると途端に尻込みしてる気がする。
もちろん、運用としてサービスを利用する上での規約なりを明示することは大切。その上でたくさんのユーザーに使ってほしいと思うのなら、炎上なんてあって当然。あとはその規約に則って毅然としてれば良いんだと思うんだけど。

まだ立ち上げてもないサービスのリスクに目が行くってことは、ある種、先を見越した対応なので大事だとは思うんだけど、それが足かせになるんだったら、そもそもで必要なものかどうかまで立ち戻って考えるしかないのかもしれない。それでも「やりたい!」もしくは「メリットがある」と判断できた上でやるべきだと思う。そこまで考えてないから、立ち上げただけで、運用は他(下請けとか)に任せるなんて無責任な事ができるんだろうなと。

いや、誰がとかいう話ではないんだけど。