Wednesday, October 23, 2019
 

相手に気づかせる文化

w19社内スタッフや代理店や外注制作関係と打ち合わせをした時に、会議が長引く時がよくある。

「会議を短縮し円滑にする10のTips」とか「だから会議が長引く理由」とか、それっぽい本なり記事に手法はよく載っているのだけど、そもそもで会議をしてて、妙な違和感を感じる時がある。それは「会議の目的は何なのか共有してないから」とか「アジェンダを用意せず、議事録をつけてないから」とかそういうことではなくて。
なんとなく「会議」というものは、「誰が何をいつまでにどうするのか」を決めるフリをした「タスクの気づかせあい」なんじゃないのかと思った。ある種、なすりつけあいなので、しっかりと「誰が何を」というのを決める前提にない。でもタスクなりクライアントの要望はあるので、誰かがやらないといけない。その決まるときの理由が、「自分がやりたいから」とか「そこは私の仕事なのでやります」という前向きなものではなく、会議に出てる人達の力関係だったり色々な事情が裏で働いて、やる人が決まる事が多い。そのせいなのか、往々にしてやる事になった人に、妥協というか嫌々感を感じてしまう。あれなんでなんだろう。

やるべき事はわかってるんだし、個々の立ち位置もはっきりしてるのなら、自ずと誰がやるべきなのかはわかるはず。だから「これはあなたの仕事なんだからやってください」と正直に言えば即終わるんだけど、会議の時に渦巻いてると感じる「遠慮」とか「めんどくさい」とか「誰か決めるだろう」とか「あいつにやらせよう」という立会う人間の弱気な感情。それが会議を長引かせてるし、話がこじれてる理由な気がする。

理由や状況を遠まわしに述べて、そのために資料を作り、やるべき位置にいる人にそれをやらせるように話を持っていく頭脳ゲームが「会議」だとしたら、正直しんどいのだけど、「みんなで考えてみんなで決めよう」という全体主義からの責任回避のスタンスが文化としてある限り、きっとそういうのって無くならないんだろうなー。と思った。

 
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