Saturday, January 18, 2020
 

大人になるための裁き

この前スーパーで、そこにいた子供が、ちょっとカッコ良いケースのガムを買おうとしていた。

が、パッと見どこからガムが出てくのかが、わかりくいものだったらしく、それをみて母親さんが「そんなわかんないものやめなさい」と言っていた。わからないのは、母親さん本人であって子供ではない。その後「さっきの飴でいいじゃない」と言ってレジに子供を促していた。その子供は口をつぐんで立ち尽くしてたんだけど、なんだか見てて悲しくなってしまった。

昔から自分の悪い癖なんだが、よく「●●したい!」という事を思いつきで口走る。ただ、大抵その後「お前なんかにできるわけない」という主観や「あなたのためを思って言ってるのよ」という親心や外的な状況をあげられ、諦めさせらる事が多い。仮にそれを振り切ってやったとしても、失敗したらしたで「それ見たことか」と何度も何度もあげつらわれる。

で、いつも思うのが「なんでそんな事言うの?」という単純な疑問。応援する気があるのなら「いいじゃないか、やってみなよ」とか「じゃ、その為には何が必要か考えよう」とか、やりたいという気持ちに応える言い方があると思う。あと、他人に自分の願望を言った時に生まれる「言った事はやらないといけない」という変なプレッシャーはなんなんだろう。実際にやるかやらないかは本人が決める事だと思うのだけど。
仮に失敗したって、本人には良い経験になるんだから「それを糧に次また頑張ろう」とか「なぜ失敗したのか考えよう」と、なぜならないのか。一回失敗したらもう人生の敗北者みたいな扱いを受ける事が多いし、周りも自分がそうならない様に勝てる勝負以外はさせてもらえなかった気がする。それは当事者からしてみれば、相手を思っての事からだという理由なのだろうけど、それは同時に可能性の芽を潰している。「親の心、子知らず」は「子の心、親知らず」でもある。

まぁ、それは愚痴だし、結局諦めてる時点で本心からやりたかった事ではないからなのかもしれない。それに突発的な事を言って相手が拒絶反応を起こすのは、それ以前のプレゼンテーションができてないからなので自分のせいでもあるのだが、「やりたい!」って思った事は事実なので、そこを尊重する風潮がもっとあっても良いのになーと思う。そうする事で色んな可能性も生まれるし、自分が信じる事を行動しても良いのだという自信につながる。
環境のせいにはしたくないが、「周りに迷惑をかけない様に」という他者にとって都合良く生きるというマインドが、子供の頃からすりこまれてるから相手にもそれを強要してしまうのか。

個人の主義や、やる気が尊重されないと、どんどん考えが当たり障りなくなってくる。「右にならえ」が良しとされ、かといって右が正しいとも限らない。それってやっぱりつまらないし、その集団性が普通に恐い。なんとも勿体ない話だなと思った。

 
関連記事

Tags: ,