Wednesday, October 9, 2024
 

プロダクトマネジメントとマーケティングの狭間にある仄暗い未来

前回、Clubhouseを通してSNSの今後を憂う意図の記事を記載しました。

Clubhouseを使ってみて、気づいた事と、これからのSNSに期待する事

あれからさらに1週間が過ぎ、当初の加熱ムードもどこへやら。
予想通り、著名人の活用の徐々に減り、現状で継続して利用をしているユーザーも、だいぶセグメント化が進んできている様です。

SNSのマーケティング利用について議論をしているroomもありますが、ポジショントークの域をでません。
なのでポジショントークついでに客観的に拝見していて、今、思ってることを追記としてツラツラと。

SNSがマーケティングツールになり得る理由

Twitterやmixiが世に出た10年前から、当然とある機能(UI)にフォロー数、フォロワー数があります。
その数字にマーケティング的な価値を見出し、「影響力がある」=スゴい人という同調バイアスに近いものが生まれ、
そこに商品やサービスが乗っかる形でマーケティング然として扱われることがSNSをスケールすることのゴールに定義されがちです。

実際、スケールできなかったSNS(Arrowとか)もありますし、サービスの継続としてSNS運営側が、そちらに寄せた設計をするのも頷けるところではありますが、前回の記事にも書いた通り「それってSNSなの?」という感覚が個人的には拭えきれません。

ストイックに友人や興味の範疇でつながるだけなら、SNSを利用しなければならない理由もなく。メールで良いというのも事実でしょう。
要は、関係性をベースに個々に興味ある分野で繋がれれば良いので。
そこに数字が絡み、それを良くも悪くも利用する大人、一喜一憂する子供がいるから話が複雑になっているだけ。

『バズる』とは無縁の世界へ

自分はTwitterの利用は、クライアントアプリである夜フクロウをメインに、詳細を確認したい時だけPC版のTwitterへアクセスするやり方をしています。
なるべくノイズを少なく観たいという願望があり、フォローしているメディアのアカウントのRTやLikeは非表示にするなどしていましたが、前述の考えもあって、今後はフォロー数/フォロワー数も非表示にすることにしました。

方法としては、GoogleChromeの拡張機能であるStylus
でTwitterのドメインへユーザーCSSで下記の記述

/* フォロワー数非表示 */
div.r-18u37iz:nth-child(5)
{display:none !important; }

を追加。

合わせて右カラムにあるトレンドキーワードの表示も出ない設定にしました。
※こちらは他サイトに記述が公開されていたのを拝借しました。

あくまでプロフィール画面でのCSSの変更なので、アイコンにオンマウスするとフォロワー数などは表示されますが、意図しなければ気にはなりません。
TLに流れてくるTweetだけを淡々と表示する形になり、良く言えばシンプルになったなと。

メディアがメディアを作る構図には乗らない

今回のClubhouseが流行していく流れを観ていて強く思ったのが、既存メディアがネット系ツールを新興メディアであるかの様に扱っていく様子。

ビジネスとしての利用価値があるのか無いのかだけで議論されていることが多く、サービスの本質が軽んじられている印象があります。
またサービス提供側も、既存サービスからの踏襲を基に、いかに流行らせるか(ユーザー獲得→広告的価値→マネタイズ)という図式がユーザー側に透けて見えてしまいます。

それだと飽きられるスピードも早いだけでなく、利用ユーザーも過去の経験から「はいはいまたね」となってしまうでしょう。

ユーザーがサイトに期待を持てなくなってしまう事象が続くと、せっかく深く思案したはずのUXも伝わらず、あげくは裏目に出るようになってしまうかもしれません。

数字だけを追うのでなく、サービスとしての誠実さと先鋭化を担保しながら、いかにビジネスとして成り立たせるか。
今後のプロダクトマネジメントにおいて、それらが重要なキーワードとなる予感がしています。

 

Clubhouseを使ってみて、気づいた事と、これからのSNSに期待する事

2020年10月後半辺りから界隈で話題になり、日本でも最近になって流行となった音声SNS『Clubhouse』。

たまたま自分がiPhoneユーザーということで他聞にもれず、自分も気になっておりました。
この度、招待をいただいたので、早速、使ってみることに。

あれから1週間ほどが経ち、すでに若干の疲れは見えるものの、ブームとしての初速の伸びから一息つきかけてる今、様々なroomが生まれては消えてを繰り返している様子。

私信にはなりますが、自分なりに観てきて気づいた事などを、一度整理してみようかなと。

Clubhouseの楽しさはモデレーターとテーマ次第

過去のSNS運用のセオリーを基に考えるとClubhouseを楽しむポイントは、

・いつも決まった時間に定例でroomを開くのが良さげ
・テーマは飽きないように都度でマイナー変更
・モデレーターは進行役に専念
・会話形式ならスピーカーは9人くらいが限界
・都度でroom内のルールをアナウンス

が良さそうな印象でした。

1テーマを30~40分、長くて1時間くらいで情報の共有、知識のすり合わせをしていくようなイメージでしょうか。

趣味やアニメについてなど、ディープな拘りをお互いに話しあい、和気あいあいと「それは良いですねぇ」「お目が高い」と褒めあってるroomは、なんとも微笑ましく。
時折垣間見える変態性が、なんとも聞いていて楽しく感じられて好印象ですね。
会話形式のタモリ倶楽部みたいな。
コミュニティ形成を主としている姿勢もあって、モデレーターの人柄が出るなぁと感じられました。

なお、重いテーマだったりスピーカーが多い場合、海外のroomなどではモデレーターと発言者以外は、その人が意見を言い終わるまでは全員ミュートがマナーの様です。
日本的な喧々諤々とした討論も活気はあるかもしれませんが、Clubhouseの中では、シンプルに会話が被ってしまうので難しいかなと。

やはりディベートの文化が下地にあるかの違いかもしれません。
人の意見を遮るのはトランプ氏くらいなもので。

懸念としてある『雑談は必要』という文脈からの逸脱

当初Clubhouseが出始めの頃は、コロナ禍ということもあり利用者の多くは
「みんなリモートワークで孤独。雑談を欲してたよね」
という空気から、概ね好意的に受け入れられている印象でした。

しかしSNS特有のフォロワー数≒戦闘力という考え方から、徐々に、
「roomはバズらせなければならない」
という空気が漂いつつあります。

もちろん、今後の社会や未来について、高い関心があるテーマを大いに語るのは結構でしょう。
しかし、ミニマムな範囲でソーシャルに雑談という空気からは、かなりの乖離を感じます。
既存のセミナー系ツールやテレカンとの棲み分けをどう図るのか興味のあるところです。

まだみんな扱いに困ってる?

個人的な見解ですが、1人のモデレーターから多数への教室形式は、あまりClubhouseは向かないのではと感じています。
既存のPodcastと変わりがない、アーカイブが残らない、会話でしか説明ができない
などが理由です。

また、現状で決定的なのは、聴講してるオーディエンスからのフィードバックや反応が無いこと。
フラッとアイコンだけ付いて、サッと消えてしまうのを見ると、「興味がなかった」のか「今ちょっと都合が悪いのか」を測ることはできません。

いちいちフィードバックを求めるのも設計として難しいとは思いますが、使いたいのなら、それなりにライブ感はあるしLT的な感覚でベースのメディアの補完として扱うくらいで良いのかもしれません。

とはいえ、1人でゲリラ的にroomを開いてみても誰も来なくて淋しい思いをすることも多く。
アプリ側から、roomテーマの提案や、今オンラインになってる人を誘って話そうなど、何かしらクエストを与えてAUを増やす施策が今後出てきても良いような。

『SNS』の転換期は来るのか

本名登録、電話番号からの招待制、シリコンバレーで話題など、Clubhouseは入口の面では過去のSNSを彷彿とさせつつ、今の閉塞した日本社会にちょうどフィットするツールだったのでしょう。

思ったよりも早いスピードで有名人が飛びつき、よくわからないけどとりあえず触ってみてる感じ、好きな有名人がやってると聞いて「自分もやりたい!招待して!」とTwitterで求める声など、ネット黎明期っぽさが垣間見えたなと思えました。※マストドンが出たときも、そんなだったかもですが。

しかし、人が増えれば手垢はつくもので、SNS≒マーケティングツールというラベルから「使えるかどうか」の査定も今まで以上に早かったかもしれません。
やみくもにフォロワー数アップを目指そうという動きもありますが、通知が頻繁になるだけで、むしろ逆効果でしょう。
現状は、話がしたい/話を聞きたい人のみをフォローすれば良いのです。

これはSNSツール全般に言えますが、フォロー数とフォロワー数の表示は、本来、本人のみが把握、管理していれば良い意味合いの数字のはず。

ログイン時の自分以外は、それらを非表示にすることで、マーケティングの都合だけの空虚な数字の上に立つインフルエンサーをある程度フィルタリングできるのでは?と感じています

実際、1~2週間ほど経った今、当初いた有名人達は、それほど顔を観なくなったような。
マネタイズできない/しにくいという印象が水面下であり、速攻で飽きたというのが正直なところなのでしょう。
それはそれで良いことなのかもしれません。

本来あるべきソーシャルの繋がりの質を、今後どう濃くしていけるかがSNS文化自体が生き残れるかの別れ目になる気がしています。

Clubhouseは、まだ始まったばかり。
実装の技術や投資者との関係性、ビッグ・テック企業のファウンダーも顔を出したりと、まだまだ見れる発見はあるもの。

『SNSは、どこまでSNSであるべきか』。今後に期待しつつ、見守っていきたいと思います。

 

2021の『今』にかけるべきコストと、これから

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

新型コロナウイルスに明け暮れた2020年でしたが、常日頃からのうがい手洗いとマスク着用のお陰か、なんとか罹患せず現状、元気でやっております。
仕事面においても、ここ4~5年はリモートワークを主にしてきているため、大きな動きは無かったもののセミナー参加など、物理的な制約が多く、フットワークの軽さを売りにしているフリーランスWebディレクターとしては、少々、今後に不安を残す形にはなりましたね。

その分、今年は去年の経験を活かして、できることとできないこと、やるべきことの選定の仕方を見直す必要があると感じています。その辺の考えについて、頭の整理も兼ねてツラツラと。

欲するものの変遷

費用対効果やコスパ意識の向上について、随分前から、様々な手法や言い回しで言われ続けていますが、コロナ禍になる前と今とでは、少し様子が変わりつつあるのかなという印象があります。
ヒト・モノ・コトで、考えた場合、平成中盤くらいまでは、モノに。ここ10年くらいからはコトに時間とお金のコストをかけようという考えが主流になってきました。物質的よりも体験へ。モノより思い出ってやつですね。
中国からの観光客による爆買いが一段落し、ブランド品買いの次は、エステやアクティビティにお金をかけ始めていたのも、そういう流れからなのでしょう。

制約された中での補完

しかしコロナ禍によって、人との接触を避けることが提唱されるようになりました。補完としてVRの利用だったり物理的な距離を超えて体験を売りにするコンテンツはありますが、個人的には補完の域を出ないのかなとは思っています。それはCGの精度が上がれば上がるほど感じる違和感に近いものかもしれません。まだ脳が慣れてないというか。
飲食においてはテイクアウトやお取り寄せなど配送を活かした利用は以前からありましたが、「近所で気軽に食べる」ことも憚られる状況での、やはり補完でしかありません。実際の店舗や直売所で買う体験に勝てないのかなと。
ウーパーイーツなど配達業者を利用することに抵抗がない人は、その限りではありませんが。

コスト意識のアップデート

それら制約されたこれからの世界の中で、ヒト・モノ・コトの中でコストをかけるべきは、やはりヒトになってくるのかなと感じています。
過去の自分を振り返ってみても、自分も含めて、他人に対して意識をした上でヒトにコストをかけるという経験はあまりなかったかなと。
今までは、なんとなく出会える場所があって、そこで顔馴染みになって、親密度が増して、次の関係性に発展していくという、ある種の『自然な流れ』に任せていたのですが、これからは、そうもいかなくなってくるのでしょう。

コスパ意識丸出しで打算的に人脈づくりするということではなく、今まで無意識下にあった愛情だったり絆の形成という面を、具体的イメージの中で自発的に動いていかないと、どんどん希薄になっていってしまう漠然とした危機感があります。
ZoomなりLINEなりコミュニケーションツールは多々ありますが、それらを利用する上での人間関係の基盤を、場所という物理的環境に制約がついたこれから、どう形成し育んでいくか。

人間関係がSNSやツールに依存して細分化が進む中、気がついたら周りに誰もいないなんてことにならないように浅く広く。
オンラインとオフラインをバランスよく多面的に、かつ既存の投資、消費、浪費の概念の中にヒトも念頭に入れながら、適材適所な動きを続けること。
2021年は、それらを意識する必要があるなぁと思いました。なので、今度オンライン飲み会しましょう(え

どうかみなさんも健康に気をつけて。良い1年をお過ごしください。

 

傾向と対策は、質や量よりもスピードが命

仕事上において経験を積むことにより、自分の中で”何かしらのパターン”が見えてくることがあります。
「このタイミングで、こうなったら、後々トラブルになりそうだな」とか「この時間帯に上司から声をかけられたら、きっとこうなるだろう」など。

中長期に限らず、また仕事のみならず日々の生活においても「あー、このままだと怪我しそう」みたいな漠然としたイメージが浮かぶことがあるかもしれません。

しかし、それらは直感的だったり、天の声的なスピリチュアルな話ではありません。自分の中で積まれた情報を無意識の中で取り出し、それに適応しようとしている作用なのだとと思います。

そして、それらを意識することで、より自分のナレッジとして昇華させることもできるはずです。

見えてないものが見えてくる?

やっぱりスピリチュアルな話しかってわけではなく、意識するともしなくとも、それは少なからず自分の中で”一度観た”ことがあるから。
そこから次の展開を予測し、どう対処するかを最短距離で割り出すことができたためだと思います。
それは過去にあった悔しい思いや、次はこうしようと思っていたこと、そのチャンスに応じて頭と身体が自然に動いた状態なのかもしれません。

考えることよりも大事なこと

ロジカルシンキングや仮説思考、デザイン思考など思考方法は、いくつかあります。
それぞれに特徴が、適材適所、組織や解決した課題に応じて取捨選択がされるべきですが、組織やチームの決裁が下る頃には、すでに状況が変化しており、内容とそぐわない。他社に先を越されてしまったなどのケースは少なくありません。

それらに共通して言えるのは”考えること”が目的となっており、理解し決断し行動することの優先度が相対的に下がってしまうため。本来、目的とすべきは”成果をあげること”であることを意識し直さないといけません。

パターンを知ることを最重視する

突如起こった事象について慌てずに、粒度と筋道を整理することは大切です。しかし、それ以上に大切なのは理解をすること。そして、理解をするスピードを早めること。

偏見やバイアスに捉われず、状況をあるがままに観察して、自主的に理解・判断してまず動く。

そのスピードが早ければ、結果、失敗だとしても、その現実を受け入れて新たな方法を試すまでの時間も短くなります。
思考停止せずそれを何度も繰り返すことで手持ちのパターンを増やして成果に繋げる

「見るではなくて”観る”こと、聞くではなくて”聴く”こと」と過去の偉人は言ってましたが、観察をするだけではなく、本当に必要なのは、それを経て自分がどう理解をしたか。
得たものをどう自分で消化して、いかにスピーディーに次の行動へ繋げるか。

常にヒントは身の周りにあることを意識しつつ、観て、聞いて、経験すること。
そのスピードを早めることで自分の人生の厚みを保たせるよう、継続することが大切と言えるでしょう。

 

相手の気持ちに寄り添う、ミーティングの勘所

ディレクターという立場上、クライアントや社内でのミーティングにおいて、相手から説明を受けたり、指示を仰ぐ場面が多々あります。
一方、制作スタッフへ適切な指示を出しながら、スタッフからの意見の吸い上げ、時には相談窓口になることもあります。

説明の場という座組の場合、そのミーティングは話し手->聞き手の一方通行というバイアスが生まれがちです。
その流れに沿って、相手の話を一方的に聞き、「何か質問はありますか?」を経て、時間がきたら終わりというのが一般的なミーティングの形でしょう。
それ自体は否定するものではないですが、自分が聞き手の立場であった場合、少し、話し手の気持ちを考える癖をつけてほしいものです。

話し手が本当に”話したいこと”は何か

話し手の多くはミーティングの前の準備として
・ヌケモレなく話さないといけない
・自分が話したいことはコレというアジェンダを考えてきている
・会話ではなく通達がメイン
・相手は自分のことを理解しているはずという前提で話だしてしまう
これらのバイアスを基にしていることがあります。

仕事のミーティングにおいて聞き手として聞くべきは「話し手(クライアント)の目的/目標は何か」が、重要です。
アジェンダとして挙がる項目は、バイアスを基にしたそれら話し手のやりたいことの断片であることが多く、聞くには聞いたが、結局何がしたいのか理解ができておらず、そこに解釈の齟齬が生まれてしまっているのではと思うことが経験上よくあります。

聞き手がやりがちなこと

幼少の頃から人は「相手の話は最後まで聞く」ということを教わります。
その中で相手の話(複数での座談会含む)を遮ってまで自分の話をする”おしゃクソ”なことをしてしまうのは論外ですが、よくやってしまいがちなのは

・相手の話の後に知見のあるキーワードから「ちなみに」的に話を足してしまう
・理解を示すため故に、相手の話をオウム返し的に再度繰り返してしまう
・結論や解決策を急いでしまう

など。
会話が迷走し「結局、何の話でしたっけ?」となってしまったり、「ええ、最初にそう言いましたよね?」となり、なんとなくその場の会話の濃度的なものが薄まった印象になってしまいます。

会話の主役とは

関西方面の方ならともかく、全ての話にオチをつけろということではないですが、会話の構成は理想論、「何がどうしてどうなった(どう思った)」を骨組みに、相手にその裏側にある意図や目的、要望を伝えるのがメインになります。
聞き手としての本来の役割はそれらを踏まえ、聞き手だからこそ、その会話をドライブ(跳ね)させるために質問力を意識することが大事です。

・具体的に言い換えると、どういうことなのか(明確化)
・「それって例えば○○ですか?」(深堀り)
・相槌のタイミングと強さ(共感)
・時には砕けたツッコミも重要(緊張と緩和)

など、ただ聞くのではなく、大切なのはアジェンダの消化よりも話し手に、自分が話したことを通して相手に”理解してもらった”と思える、多幸感や充足感を与えること
それが本当の意味で「最後まで聞く」ということになるのかなと。

オンラインでのミーティングの場合、画面上は多くの人の顔が見えますが、実質的には、皆、1:多数の中で行われています。
ファシリテーションも「今このセンテンスでの話し手と聞き手は誰なのか」「会話の繋がりとして問題はないか」「冗長的な流れで集中力が途切れていないか」など、注意を払うべきことが増えてきました。

ただ、なんとなく集まって一斉に話しだしたりしないよう、指揮者/編集者としての素養がより求められてきています。

集まって話すこと自体が目的になりがちなミーティングですが、これらを踏まえ相手の気持ちを汲んであげることで例え5分の会話の中でもお互い充足感は得られるもの。
無理に頑張ってモテようとする必要もないですが、まずは、お互いがお互いの理解者であろうとする気持ちを持つことが大事なのかもしれません。