Tuesday, March 19, 2024
 

無駄という贅沢

子供の頃、算数で「マイナスとマイナスをかけるとプラスになる」というのを聞いて、なんとなく解せないまま、今まできたんだけど算数以外でもこういう事ってあるような気がする。
仕事や人生に置いてもマイナスな局面に、明らかに普段ならあり得ない事とかすると意外と打破できたり。毒を盛って毒を制すというか。
マイナスからプラスに引き上げるのは大変だけど、わりとそういう時って正攻法で行こうとしすぎてる時だったり、周りの視線や評価を気にしてる時だったりするかも。落ちこんでる時みたいにジメっとしたマイナスではないなら、パーっと忘れてしたいことした方が、後々後悔するよりはマシかな。

やっぱり無駄なものは無駄だし、くだらないものはくだらないと思う。でも、それで良いと思う。それは主観だから。
80年代後半の不条理ギャグ世代としては、どうしてもその辺が発想のベースにあったりするので、周りが無駄とかくだらないというものを大事にしたいと思うし、作っていきたいなと思う。本気で手をかけて、くだらないものを作る。そんな贅沢をしてみたい。ただのヘソ曲がりかしら。

それを見た誰かが「くだらねー。でもイイ!」って言ったら俺の勝ち。
なんの勝負かは知らんけど。

 

手法と目的の微妙な関係

自分は、写真を撮るのが好きだ。

なので休日はカメラを持ち歩く事が多いのだけど、被写体が決まらず結局何も撮らずに帰ってくることが、以前よくあった。
なんでかなーって考えたんだが、それは「写真を撮る」という行動が目的になってしまっていて、「具体的な何かを写真に撮りたいから」という訳ではなかったからだと気付いた。

デザインについてもそうで、デザインは本来、クライアント(サイト)なり生活なりである潜在的な問題を解決するための手法のはず。でも、他人が作った商品やサイトを見たときに、なんとなく「有名デザイナーが制作!」という煽り文句だったり、デザインするために使うツールや、新しい技術に目がいって、「なぜそのデザインにしたのか。目的はどこにあったのか。」を考える事が二の次になってたなと思った。

写真を撮りたいと思った目的や理由は、自分の中の結論としては

自己表現をしたいから

に、落ち着いた。そのための手法の1つとして写真を撮るという行動を選んだ。なので被写体はなんでも良いと思う。それをすることで自己表現ができるのなら。
Webディレクション(仕事)に関しても

クライアントやサイト自体が持ってる問題点を分析し、自分で考えた解決法を提案し、それでお金を得たいから

だと思った。その解決法として「デザインをする」事をしたいと思った。まぁ、喜ぶ顔を見たいからとか綺麗な事も言えるけど、お金はもらわないと食ってけないので、そこは今度また考える。そこにある価値とかも気になるし。

なぜそれをしないといけないのか。なぜそれが必要なのか。根本に本来あるべきの目的を見ないで、手法やそれをとりまく環境に捕らわれてしまうと、そもそもの目的がおいてけぼり、もしくは薄いので、袋小路に入ってしまう。まさに本末転倒。
ただ、結果だけを求めると人は近道をしたくなるのもある。過程や方法の積み重ねこそ、「自分は何ができる」という自信の部分につながるので、なんとも微妙なバランス。

特にWebの場合は新しい技術が、どんどん出てくるので、手法に引っ張られやすいと思う。知識としてどういうものか知っておく必要はあるけど、全部できるようになる必要はない。それが自分にとって必要かどうかを見極めるほうが大事。それに結局、本当に良い技術は残るから。その時自分に必要なら、その時、覚えればよいと思う。

まぁ、根本のところは「だって好きなんだもん。だからそのためにこうしたいんだもん。」でいいだろうけど。

 

ツールから見るコミュニケーション親密度

コミュニケーションをする際に使うツールから、相手との親密度を表した表。

ただ、状況や伝えたい事の質だったり複合的な部分もあるし、シンプルにそれだけの仲という前提だけど。

総じてだけどやっぱりWeb系は、その手軽さからなのか、低いなぁという印象。個と個のつながりという意味では、たしかにWebは向かないと思う。いや、可能なんだけど、逆に絞り込む方が手間がかかるというのがあるからか。逆に言えば不特定多数への連絡や、周知には向いてるしな。適材適所。一長一短。なんだかなー。

Google Waveは個人同士のやりとりなら、7と8の間くらいになるのかな。不特定多数にだったら2とかなんだろうけど。まだやったことないので想像だが。

つーか、これって、そのツールを使ってないという事は、その親密度にあてはまる友達がいないという事にもなるのかしら。

いや、考えないようにしようっと。

 

ビジネスの中の均等性

いや、「均等性」という言葉があっているかわからないけど。

ある業界に特化したポータル的なサイトを作る場合、ワイヤーを作る時にファーストビューからの優先度は

・ユーザーにさせたい事(そのサイト目的)
・収益源となるコンテンツ
・目立たせたい何か

基本、この3つからの折り合いになると思う。

ユーザーにさせたい事はサイトのアイデンティに関わることなので、不動の優先度1位だと思うのだが、収益源となるコンテンツ、目立たせたい何かの選定基準がクセモノになることがあるような気がする。

というのはポータルサイトが、いわゆるポータル運営側発信では無く、他のサイト(クライアント)のハブ的サイトの場合。

収益を基本に考えれば、アクセスログとか季節ものとか理由をつけて、目立たせるというのは往々にしてある。でもそれに付随しないジャンルやカテゴリのサイト(クライアント)からしたら不平等が発生する訳でどうなんだろうかと。

サイトレイアウトの優先度はサイト運営側(制作側)がもつべきなのか、クライアント側がもつべきなのか、そこの折り合いをつけるために金額というキリフダがあるんだと思う。いや、「目立たせたいならお金ちょうだい」でよいのだろうけど、ちょっと今やってる案件がアレなのもあって、そういったモチベーションがない、「素」のハブサイトだとその辺の説得力がないなーと。

均等にクライアントを露出して、平等にアクセスがかせげて、均一にお金を得られる。そんな社会主義なサイトって作ってみたいけど、それが本当に正しいのかはわからない。そもそもで、そんなサイトがいるのだろうか。つーか、ケースが特異すぎか。

まぁ、ほしいと言われれば作るけど。