手法と目的の微妙な関係
自分は、写真を撮るのが好きだ。
なので休日はカメラを持ち歩く事が多いのだけど、被写体が決まらず結局何も撮らずに帰ってくることが、以前よくあった。
なんでかなーって考えたんだが、それは「写真を撮る」という行動が目的になってしまっていて、「具体的な何かを写真に撮りたいから」という訳ではなかったからだと気付いた。
デザインについてもそうで、デザインは本来、クライアント(サイト)なり生活なりである潜在的な問題を解決するための手法のはず。でも、他人が作った商品やサイトを見たときに、なんとなく「有名デザイナーが制作!」という煽り文句だったり、デザインするために使うツールや、新しい技術に目がいって、「なぜそのデザインにしたのか。目的はどこにあったのか。」を考える事が二の次になってたなと思った。
写真を撮りたいと思った目的や理由は、自分の中の結論としては
自己表現をしたいから
に、落ち着いた。そのための手法の1つとして写真を撮るという行動を選んだ。なので被写体はなんでも良いと思う。それをすることで自己表現ができるのなら。
Webディレクション(仕事)に関しても
クライアントやサイト自体が持ってる問題点を分析し、自分で考えた解決法を提案し、それでお金を得たいから
だと思った。その解決法として「デザインをする」事をしたいと思った。まぁ、喜ぶ顔を見たいからとか綺麗な事も言えるけど、お金はもらわないと食ってけないので、そこは今度また考える。そこにある価値とかも気になるし。
なぜそれをしないといけないのか。なぜそれが必要なのか。根本に本来あるべきの目的を見ないで、手法やそれをとりまく環境に捕らわれてしまうと、そもそもの目的がおいてけぼり、もしくは薄いので、袋小路に入ってしまう。まさに本末転倒。
ただ、結果だけを求めると人は近道をしたくなるのもある。過程や方法の積み重ねこそ、「自分は何ができる」という自信の部分につながるので、なんとも微妙なバランス。
特にWebの場合は新しい技術が、どんどん出てくるので、手法に引っ張られやすいと思う。知識としてどういうものか知っておく必要はあるけど、全部できるようになる必要はない。それが自分にとって必要かどうかを見極めるほうが大事。それに結局、本当に良い技術は残るから。その時自分に必要なら、その時、覚えればよいと思う。
まぁ、根本のところは「だって好きなんだもん。だからそのためにこうしたいんだもん。」でいいだろうけど。
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