Clubhouseを使ってみて、気づいた事と、これからのSNSに期待する事
2020年10月後半辺りから界隈で話題になり、日本でも最近になって流行となった音声SNS『Clubhouse』。
たまたま自分がiPhoneユーザーということで他聞にもれず、自分も気になっておりました。
この度、招待をいただいたので、早速、使ってみることに。
あれから1週間ほどが経ち、すでに若干の疲れは見えるものの、ブームとしての初速の伸びから一息つきかけてる今、様々なroomが生まれては消えてを繰り返している様子。
私信にはなりますが、自分なりに観てきて気づいた事などを、一度整理してみようかなと。
Clubhouseの楽しさはモデレーターとテーマ次第
過去のSNS運用のセオリーを基に考えるとClubhouseを楽しむポイントは、
・いつも決まった時間に定例でroomを開くのが良さげ
・テーマは飽きないように都度でマイナー変更
・モデレーターは進行役に専念
・会話形式ならスピーカーは9人くらいが限界
・都度でroom内のルールをアナウンス
が良さそうな印象でした。
1テーマを30~40分、長くて1時間くらいで情報の共有、知識のすり合わせをしていくようなイメージでしょうか。
趣味やアニメについてなど、ディープな拘りをお互いに話しあい、和気あいあいと「それは良いですねぇ」「お目が高い」と褒めあってるroomは、なんとも微笑ましく。
時折垣間見える変態性が、なんとも聞いていて楽しく感じられて好印象ですね。
会話形式のタモリ倶楽部みたいな。
コミュニティ形成を主としている姿勢もあって、モデレーターの人柄が出るなぁと感じられました。
なお、重いテーマだったりスピーカーが多い場合、海外のroomなどではモデレーターと発言者以外は、その人が意見を言い終わるまでは全員ミュートがマナーの様です。
日本的な喧々諤々とした討論も活気はあるかもしれませんが、Clubhouseの中では、シンプルに会話が被ってしまうので難しいかなと。
やはりディベートの文化が下地にあるかの違いかもしれません。
人の意見を遮るのはトランプ氏くらいなもので。
懸念としてある『雑談は必要』という文脈からの逸脱
当初Clubhouseが出始めの頃は、コロナ禍ということもあり利用者の多くは
「みんなリモートワークで孤独。雑談を欲してたよね」
という空気から、概ね好意的に受け入れられている印象でした。
しかしSNS特有のフォロワー数≒戦闘力という考え方から、徐々に、
「roomはバズらせなければならない」
という空気が漂いつつあります。
もちろん、今後の社会や未来について、高い関心があるテーマを大いに語るのは結構でしょう。
しかし、ミニマムな範囲でソーシャルに雑談という空気からは、かなりの乖離を感じます。
既存のセミナー系ツールやテレカンとの棲み分けをどう図るのか興味のあるところです。
まだみんな扱いに困ってる?
個人的な見解ですが、1人のモデレーターから多数への教室形式は、あまりClubhouseは向かないのではと感じています。
既存のPodcastと変わりがない、アーカイブが残らない、会話でしか説明ができない
などが理由です。
また、現状で決定的なのは、聴講してるオーディエンスからのフィードバックや反応が無いこと。
フラッとアイコンだけ付いて、サッと消えてしまうのを見ると、「興味がなかった」のか「今ちょっと都合が悪いのか」を測ることはできません。
いちいちフィードバックを求めるのも設計として難しいとは思いますが、使いたいのなら、それなりにライブ感はあるしLT的な感覚でベースのメディアの補完として扱うくらいで良いのかもしれません。
とはいえ、1人でゲリラ的にroomを開いてみても誰も来なくて淋しい思いをすることも多く。
アプリ側から、roomテーマの提案や、今オンラインになってる人を誘って話そうなど、何かしらクエストを与えてAUを増やす施策が今後出てきても良いような。
『SNS』の転換期は来るのか
本名登録、電話番号からの招待制、シリコンバレーで話題など、Clubhouseは入口の面では過去のSNSを彷彿とさせつつ、今の閉塞した日本社会にちょうどフィットするツールだったのでしょう。
思ったよりも早いスピードで有名人が飛びつき、よくわからないけどとりあえず触ってみてる感じ、好きな有名人がやってると聞いて「自分もやりたい!招待して!」とTwitterで求める声など、ネット黎明期っぽさが垣間見えたなと思えました。※マストドンが出たときも、そんなだったかもですが。
しかし、人が増えれば手垢はつくもので、SNS≒マーケティングツールというラベルから「使えるかどうか」の査定も今まで以上に早かったかもしれません。
やみくもにフォロワー数アップを目指そうという動きもありますが、通知が頻繁になるだけで、むしろ逆効果でしょう。
現状は、話がしたい/話を聞きたい人のみをフォローすれば良いのです。
これはSNSツール全般に言えますが、フォロー数とフォロワー数の表示は、本来、本人のみが把握、管理していれば良い意味合いの数字のはず。
ログイン時の自分以外は、それらを非表示にすることで、マーケティングの都合だけの空虚な数字の上に立つインフルエンサーをある程度フィルタリングできるのでは?と感じています
実際、1~2週間ほど経った今、当初いた有名人達は、それほど顔を観なくなったような。
マネタイズできない/しにくいという印象が水面下であり、速攻で飽きたというのが正直なところなのでしょう。
それはそれで良いことなのかもしれません。
本来あるべきソーシャルの繋がりの質を、今後どう濃くしていけるかがSNS文化自体が生き残れるかの別れ目になる気がしています。
Clubhouseは、まだ始まったばかり。
実装の技術や投資者との関係性、ビッグ・テック企業のファウンダーも顔を出したりと、まだまだ見れる発見はあるもの。
『SNSは、どこまでSNSであるべきか』。今後に期待しつつ、見守っていきたいと思います。
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